ひとりで飲茶
深緑野分Nowaki Fukamidori
「いらっしゃいませ」
出迎えてくれたのは母と同じ年頃の女性だった。白いシャツに黒いベストとスカートで、きりっとしている。店内は広く、正直言って怖(お)じ気づくくらいに立派な内装だった。床は木だけど通路は大理石、壁は濃い灰色で、中国風の黒い衝立(ついたて)が席と席の間を仕切っている。椅子は白くてふかふかそうだ。しかも空(す)いていて、客は私の他にひとりしかいない。
こんな素敵なところでひとりで食事なんて! 係の人の後を歩きながらつい猫背になりかけ、母から「背筋を伸ばして」と言われたことを思い出し、がんばって胸を張る。このワンピースでなかったら、この時点で逃げ出していたかもしれない。
通されたのは窓際の席で、ずっしりとしたメニュー表を渡された。
「本日のコースにはフカヒレスープや車エビの生姜(しょうが)ソースがございます」
そう言われても、メニュー表に書かれた金額は五千円から一万円。信じられない。
「あ、あの……単品料理はありますか?」
「もちろんございますよ。ごゆっくりお決め下さい」
ふんわりと微笑んで係の人はテーブルの前から去り、私は少しほっとしながらメニュー表をめくる。コース料理以外にも確かに単品料理はあった。噂(うわさ)には聞いたことがあるけれど食べたことはない北京ダックは、照りのある皮と野菜が生の餃子の皮みたいなもので巻いてあるのが、ふたつで千六百円。北京風エビチリと四川風エビチリっていつも行く中華料理店の味とどう違うんだろうと首を傾げ、そこについた二千五百円の値段にめまいを起こしかけた。ふわふわした白いものに黄色い何かがかかっている写真は、蟹と白身魚の卵白炒め。味の想像がつかない。伊勢エビが半分に割れてぷりぷりの身にあんかけがすごいことになっているやつはスルーして、二千円のラーメンも通りすぎる。
値段と味の予想とお腹の空き具合のバランスがすこぶる悪かった。たくさん食べたいけれど、予算には限りがあり、そもそもどれを食べていいかわからない。「機会があれば違うものも食べてみたい」とか思っていたのに、実際選択肢が増えると、何を食べたらいいのかさっぱりなのだ。
だんだん私は目が泳ぎはじめ、せっかく席についたのに何も頼めずにいたらどうなるんだろう、そんな焦りが出てきた。頭にじんわり汗をかきながら、メニュー表を遡る。そこで、見覚えのあるものに出会った。
春巻き。焼き餃子。水餃子。焼売。エビ餃子。
わかる、わかるぞ。
値段もちょうどよかった。竹の蒸し器に二個ちょこんと鎮座したひと皿が六百円くらいで、四種類食べてもエビチリひと皿分くらいだ。これなら味も量も想像できる。それに私は元々点心が好きなのだ……といっても、ミスドで食べるくらいだけど。
はっと顔を上げると、さっきの人とは違う、若い女性の係が私のすぐ横に立って、にっこりと微笑んだ。
「お決まりですか?」
ほんのり外国語のアクセントが残る彼女に、私は頷く。
「えっと……春巻きと、水餃子を下さい。あと……」
彼女は伝票にさらさらと書いていくけれど、こいつ点心ばっかり注文するな、と思われていないかと不安になる。
- プロフィール
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深緑野分(ふかみどり のわき) 1983年神奈川県生まれ。2010年「オーブランの少女」が第7回ミステリーズ!新人賞で佳作に入選。
13年に同作を含む短編集『オーブランの少女』でデビュー。
他の著書に『戦場のコックたち』『分かれ道ノストラダムス』『ベルリンは晴れているか』『この本を盗む者は』がある。