よみもの・連載

おひとりさまごはん

ひとりで飲茶

深緑野分Nowaki Fukamidori

 烏龍茶を啜りながらふと窓の方に視線をやった。ここは半地下というか、目の前には塀があるけれど、上の方には植え込みや空が少しだけ見えた。
 きらきらして賑々しい東京の夜景の上に、まるで今の私の気持ちみたいにまんまるの満月が夜空に浮かんでいる。
 食事の時はいつも家族か友達、会社なら同僚が一緒にいたから、ひとりぼっちの食事って寂しいばかりだと思っていた。まったくもって勘違いだ。ふと見れば、あのラーメンを食べていたお婆さんは、ナプキンで行儀良く口元を拭い、誰もいないのに四隅をきっちり重ねて畳んでいる。私も真似(まね)してナプキンを折り目どおりに畳む。意外と難しいなと苦戦していたら、ふいに入口の方が賑やかになった。パーティは終わったらしい。
 会計をして店を出ると、スーツの群れが隣のカフェの前やら中やらに固まっていて、誰かが誰かにぺこぺこお辞儀したり、げらげら笑ったり、喫煙所はどこだろうね、なんて話したりしていた。最初にここへ来た時の、人を吸い込むような柔らかさと静けさのある秘密の地下室めいた雰囲気は消え、すっかり社交の場と化した。
 スーツやドレスの人々を避けて階段をのぼる。満員電車並みに混雑していた会場から解放された人たちでクロークはおおわらわ、バーの扉も全開で、油断して人波に乗るとカウンターでお酒を飲む羽目になりそうだった。テレビに出ている人もいたし、私でさえ知っている作家も見かけ、ああ、ここはやっぱり文壇≠フ場なんだなあ、なんて考える。
 みえちゃんはもう帰ったのだろうか。でももういずれにせよ遅いだろう。胸がちくりと痛む。みえちゃんは私の姿が見えなくてがっかりしただろうか。それとも全然気にしてないだろうか。これだけたくさんの人が――それも有名人たちも含めて――みんなみえちゃんに会いに来たんだ。私なんかいなくたって大丈夫なはず。
 すかすかする心をさっきの飲茶の記憶でなだめ、黒っぽい群れの隙間を縫うようにしてふかふかの絨毯を進む。どうにかクローク前の行列に加わろうとした時、パーティ会場まで続く廊下に差しかかった。人がいない。さっきはあんなにぎゅう詰めで、人の頭しか見えなかったというのに今はがらがらで、ホテルの人や文芸誌を配っていた編集者っぽいスーツの人が、後片付けをしているだけだった。
 そっと廊下に入り、パーティ会場の方を窺(うかが)ってみる。ドアは開いていて、すっかり広くなった会場が見える。まばらだけれどまだ人がいた。
 みえちゃんだ。白いクロスのかかった長テーブルに残る料理の向こうに、ピンクベージュのジャケットとスカートで少しおめかししたみえちゃんが、知らないふたりの女の人に両側を挟まれて、にこにこしている。でもあの笑顔は社交用≠セと私は知っていた。
 小学生だった頃のみえちゃんは、家族や私以外の人と話す時に顔が真っ赤になって、言葉を口から出すのもしんどそうだった。大きくなって久々に再会したら社交用≠フ笑顔が上手になっていたけれど、以前を知っているせいか私には彼女が無理をしているとわかってしまった。
 そのみえちゃんがこんな派手なパーティで業界人っぽい見知らぬ人たちに囲まれていたんだ。

プロフィール

深緑野分(ふかみどり のわき) 1983年神奈川県生まれ。2010年「オーブランの少女」が第7回ミステリーズ!新人賞で佳作に入選。
13年に同作を含む短編集『オーブランの少女』でデビュー。
他の著書に『戦場のコックたち』『分かれ道ノストラダムス』『ベルリンは晴れているか』『この本を盗む者は』がある。

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