よみもの・連載

雌鶏

第二章

楡周平Shuhei Nire

 鴨上は、その時の教授の姿を思い出したのだろう。ついに大声を上げてひとしきり笑うと、目元に余韻を残しながらも、真剣な眼差しになると続けた。
「知らぬこととはいえ、先生のような方に無礼を働いてしまったとなれば、そりゃあ機嫌を取ろうと必死になりますよ。実際、先生は私にこうおっしゃいました。願いを叶えてやれば、感謝の念は何倍にもなるし、わしが持つ力の大きさも分かるだろう。その後は忠実な僕(しもべ)として働くようになれば、わしのことは、必ずや他の科の教授連中、他大学の教授連中にも知れ渡ると……」
 貴美子は鬼頭の狡猾(こうかつ)さ、用意周到さ、計算高さ、そして権力を手に入れんとする執念の深さを改めて思い知った気がした。
「なるほど、そういうことでしたか……。ここを訪れるお相手の健康状況を言い当てれば、それだけでも私の占いの信憑性(しんぴょうせい)は増す。願いを叶えてやるかやらぬかは、先生のお考え次第。どちらに転ぶにしても、占いの結果が絶対に外れることはない。かくして私の占いへの依存度は増すばかり。それすなわち、万事が先生の思うがままに動くようになるということですね」
「その通りです……」
 鴨上は不敵な笑いを口元に浮かべ、「どうです? 面白いでしょう?」
 貴美子の視線を捉え、有無を言わさぬ口調で問うてきた。
「ええ……とても……」
 その言葉に嘘はない。
 日本の権力構造を支配せんと目論む鬼頭の野望で重要な役割を担う。しかも、身代わりになったとはいえ、殺人の前科を持つ身がだ。
 これからの展開を想像しただけでも胸が躍るし、何よりもこれほど痛快なことはないと貴美子は本心から思った。
「そうそう、大事なことをお伝えするのを忘れていました」
 鴨上がふと思い出したように言う。「先生が容貌、身なりにも演出が必要だとおっしゃいましてね。取り敢(あ)えず、これをお渡しするようお預かりしてきたのです」
 鴨上はそう言うなり、鞄(かばん)の中から小さな箱を取り出した。
 どうやら眼鏡のケースのようだ。
「色眼鏡です」
 鴨上はそう言いながら、蓋を開いた。
「これをかけろと?」
 一目見て、貴美子は驚愕した。

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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