よみもの・連載

雌鶏

第二章

楡周平Shuhei Nire

 だから貴美子もそこには触れず、
「鴨上さんが徴兵を逃れられるほど、当時から先生は大きな力をお持ちだったんですか?」
 と質問し、話題を変えにかかった。
「戦争で、勝敗を決するのは何だと思います?」
 ところが、鴨上が逆に問い返してきた。
「勝敗を決するものですか? それは色々あると思いますが……。ちょっと私には……」
「兵站(へいたん)ですよ」
 言葉を濁した貴美子に、鴨上は断言すると続けた。
「いくら武器があっても、前線に届かなければ戦に勝てません。原材料や資材がなければ、武器を作ることはできません。それは武器だけじゃありませんよ。燃料、食糧、医薬品、衣服と、あらゆる物資を滞りなく調達し、前線に送り届ける機能を確立しなければ、戦に勝つことはできないのです」
 ごもっとも……。
 黙って頷いた貴美子に向かって、鴨上はさらに続ける。
「先生が担っていた役割はまさにそれだったんです。そして、その右腕として奔走したのが私……。先生と軍部が密な関係にあったこともありますが、徴兵したところで兵隊が一人増えるだけです。軍にとって、どちらの役割が重要だったかは言うまでもないでしょう」
 これもまた、ごもっともとしか言いようがないのだが、その兵隊を一人増やすために父は徴兵され戦死したのだから皮肉の一つも返したくなる。
「でも、現実はうまくいかなかった。だから日本は負けたんじゃありません?」
「軍、特に陸軍がバカ揃いだったんですよ」
 鴨上は、唾棄せんばかりの勢いで吐き捨てる。「兵隊は命を賭してお国のために戦うものだと、幼年学校、陸士(陸軍士官学校)を通じて、徹底的に頭に叩き込まれる。そこで、優秀とみなされた奴が士官として最前線に送られ、功績を上げ、生き抜いた者たちが軍を率いるようになるんです。そんな奴らからしたら、兵站部隊に配属されるのは劣等生の集まりに見えますからね。つべこべ言わずに、命懸けで戦っている部隊に、黙って物資を届けりゃいいんだとばかりに、兵站線の確保を端(はな)から無視して、闇雲に戦線を拡大したんですから、そりゃあ負けるに決まってますよ」
「そんな身も蓋もないことを……。それじゃあ、戦死した人たちが報われないじゃありませんか」
 思わず声を荒らげた貴美子だったが、
「その点、米軍は兵站線の確保が勝敗を分けることを熟知していましたね」
 鴨上は、意に介する様子もなく持論を展開する。「ミッドウェーまで日本軍は連戦連勝。アメリカは早晩降伏すると軍部は見立てていましたが、あれは大きな間違いです。あの間、米軍は兵站線が整うまでじっと耐えていたんですよ。そして、兵站線が完全に整ったところで反撃を開始したんです」

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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