よみもの・連載

雌鶏

第二章

楡周平Shuhei Nire

 それが風呂を勧めた時の反応といい、この驚きようである。
「私じゃなかったら、他に誰がいるんですか?」
 なんだか急に距離が近くなったような気がして、貴美子はクスリと笑い、思わず軽口を叩(たた)いた。
「いや、こんな手の込んだ料理を短時間のうちに作ってしまうとは、大したもんだなあと思いましてね。盛り付けも見事だし、器だって実に趣味がいい」
「私、刑務所に入る前は、飲食店をやっておりましたのよ。もっとも、雑炊やスイトンしか出さない粗末な食堂ですけどね。それに、手が込んだっておっしゃいますけど、お魚は切り身をただ焼いただけですし、味噌汁なんて誰が作ったって味も見栄えも大差ないじゃないですか」
 謙遜したのではない。正直に言ったつもりだが、どうやら鴨上は本心から言っているようだ。
 そこで、貴美子は思いつくままに訊ねた。
「鴨上さん、奥様いらっしゃるんでしょう? お家の朝ご飯と大差ないんじゃありません?」
 鴨上の顔が、一瞬にして険しくなった。
「かつてはね……。一人暮らしが長く続いているもので……」
「かつて?」
「空襲で殺(や)られましてね……。子供も一緒に……」
 重い声で答えた鴨上は、味噌汁をズッと音を立てて啜(すす)り、
「ああ……。美味(おいし)いなあ……」
 染み染みと言い、瞑目(めいもく)する。
 同じ経験をしていることもあって、貴美子はどう返したものか言葉に詰まった。
 短くも、重苦しい沈黙があった。
 口を開いたのは鴨上だった。
「私は山口県の出身でしてね。貧しい農家の三男坊で、本来ならば大学はおろか、中学にも行けない環境に育ったんです。自分で言うのも何ですが、勉強が良くできたもので、地元の篤志家が養子にと言って下さいましてね。それで、中学、高校、大学に進学できたんです」
 照れたような笑いを浮かべ、上目遣いに貴美子を見ると、手料理がよほど懐かしかったのか、鴨上は自ら昔語りを始める。
「大学に合格して上京という段になった時に、養父が先生に手紙を出しましてね。書生としてお世話になることになったんです」
「では、先生も山口の出なんですね?」

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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