よみもの・連載

雌鶏

第二章

楡周平Shuhei Nire

 色眼鏡には違いないが、問題は色である。
 なにしろ、薄いとはいえ紫色のガラスが入っているのだ。しかも蔓(つる)は金ときている。
 どこで買ったものかは知らないが、紫の色眼鏡なんて見た例(ため)しがないし、悪趣味も極まれりだ。
 だから貴美子は、すかさず続けた。
「こんな色眼鏡をかけたら、精神状態を疑われますよ。いくらなんでも、これはちょっと……」
「だからいいんです」
 ところが鴨上は平然と答える。
「いいって……どうしてですか?」
「貴美子さんは、神になるんですよ。特別な能力を持つ存在だと印象づけるためには、常人との違いを目に見える形で表すに限るのです。ほら、普段着のままステージに上がる歌手はいないでしょう? スターになればなるほど、華やかな衣装を身に纏(まと)いますよね。あんな服を着て表を歩けば、それこそ精神状態を疑われますけど――」
 貴美子は鴨上の言葉を途中で遮った。
「それは、ステージという非日常的な空間だから通用するんですよ」
「ここは、貴美子さんのステージじゃありませんか」
「えっ?」
「神を祀(まつ)る場と言えば教会、神社。仏は寺ですが、神仏に仕える者は、一目でそうと分かる装束を着用するでしょう? それも地位が高くなればなるほど華美になる。あれは単に地位の高さを誇示するためだけではありません。教会、神社、寺はステージ、信者は客なんです。非日常的空間を最大に演出するための道具なんですよ」
 なるほど鴨上の言には一理あると、貴美子は思った。
 乗りかかった船とは言うが、やると決めたからには、とことんやるしかないか……。
 貴美子は改めて腹を括(くく)ると、
「分かりました。おっしゃるようにいたします」
 鴨上に向かって頷いた。
「持参したのは、色眼鏡だけですが、先生から衣装も誂(あつら)えるよう指示を受けております。これからご案内しようと思うのですが、貴美子さん、ご予定は?」
 京都に来てまだ二週間。縁無き土地だし、予定などないのは鴨上も先刻承知のはずである。
「いいえ。何も……」
 貴美子は答えた。
「では、御支度を……」
 茶碗を手に持った鴨上を残し、身支度を調えるべく貴美子は席を立った。

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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