よみもの・連載

雌鶏

第二章

楡周平Shuhei Nire

 なにしろ客は鬼頭の下を訪ねた者たちばかり。それも願い事や相談事があってやって来る。その鬼頭が、自分の力で叶えてやれるものを、「京都に不思議な力を持っている、凄い占い師がいてな。ワシも度々卦を立ててもらうのだが、これが本当によく当たるのだ。紹介してやるから、一度みてもらったらどうだ」と言って、貴美子を訪ねるよう勧めるのだ。
 貴美子は鬼頭の意のままを、占いの結果として告げるだけ。かくして見立ては百発百中、占的ばかり。三月(みつき)もすると、政界財界の重鎮たちが、連日貴美子の下に押しかけるようになった。
「おはようございます」
 早朝の玄関口から鴨上の声が聞こえて来たのは、そんなある日のことだった。
「長旅でお疲れでしょう。どうぞお上がりになって」
 鴨上が、京都に足を運んで来るのは衣装を誂えてもらった時以来である。そして、「明日の客については相談内容も含めて、直接会ってお話しします」と言い、しかも夜行列車でやって来るところからしても、よほど重要な案件であるに違いない。
 車窓を閉め切っていても、蒸気機関車の煙が客車の中に入り込んでくる。鴨上の白いワイシャツの襟回りは、付着した煤(すす)で薄黒い輪ができていた。
「鴨上さん、お顔も服も、煤だらけじゃ気持ち悪いでしょう。お風呂を沸かしてありますので、お入りになったら? その間に朝食を用意いたしますので。お客様との約束は、午後二時ですから、十分時間もありますし」
 長旅の疲れを癒すのは、風呂と温かい食事に限る。
 貴美子は早朝から風呂を沸かし、食事の下準備をしていた。
「いやあ、それはありがたい。では、お言葉に甘えて……」
 破顔して勧めに応ずる鴨上を風呂場に案内した貴美子は、朝食の支度に取り掛かった。
 ガスコンロにかけた土鍋で米を炊く。味噌汁(みそしる)の具は大根と油揚げ。主菜は甘鯛(グジ)の塩焼き。付け合わせは茹(ゆ)でたホウレン草。そして、千枚漬けである。
 ちょうど米が炊き上がる頃合いを見計らったかのように、鴨上が食堂に現れた。
 食卓を見た瞬間、乾き切っていない髪をタオルで拭く手を止めて、
「こりゃあ凄い……。これ、貴美子さんが全部?」
 鴨上は目を丸くして驚愕する。
 貴美子は鴨上の経歴を一切知らない。四十歳前後と思われるが、正確な年齢どころか既婚者なのかも知らない。
 もちろん貴美子が興味を覚えなかったこともあるのだが、普段の鴨上は感情を全く表に出さない。鬼頭の忠実な僕として仕えて来た中で身についた習性なのか、あるいは本来の性格なのかも分からぬが、長身痩躯(そうく)という外見と相まって、人を寄せ付けぬ雰囲気を漂わせているのだ。

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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