8.沖縄へのラブソング
澤宮 優Yu Sawamiya
シンガーソングライターの佐渡山豊(さどやまゆたか)は沖縄への思いを託した歌を歌い続ける。ライブ、コンサート、今も各地でファンに元気な歌声を聞かせている。もっとも多く歌われるのが代表曲の一つ「ドゥチュイムニィ」である。題の意味は沖縄の言葉で「独りごと」である。彼が中学時代から身の回りに起こった沖縄への理不尽な出来事などを歌詞にしたのが始まりである。以後世の中に対する彼なりの思いを歌詞にし続け、75番を数えるほどになった。歌詞はウチナーグチ(沖縄の言葉)が中心である。
〈唐ぬ世(ゆー)から大和ぬ世 大和ぬ世からアメリカ世 アメリカ世からまた大和ぬ世 ひるまさ変わゆるくぬ沖縄〉
佐渡山は沖縄言葉をとくに大切にする。
「沖縄語というのは切っても切れないウチナンチュの流れで、血みたいなものだからこの言葉が自分の日記や歌になっているという思いがあります」
米軍基地を放置したままの政治への怒り、哀しみ、沖縄を愛(いと)おしむ気持ち、これらをひっくるめた沖縄への大きな愛を歌った曲が「ドゥチュイムニィ」なのだ。それは沖縄の軍事基地化を推し進める政治へのプロテストソングに見えながら、その根っこには沖縄への大きな思いがあり、ラブソングであると佐渡山は語る。
その佐渡山の心の奥にはどのような沖縄への思いがあるのか知りたくなった。
生身の米軍兵
佐渡山は昭和25年、コザ市(現沖縄市)に生まれ、米軍の嘉手納(かでな)飛行場と目と鼻の先、いわゆるコザのど真ん中で育った。一方には嘉手納飛行場のフェンスがあり、もう一方にはサトウキビ畑が一面に広がる地域である。傍(そば)には夜は米軍兵士たちで賑(にぎ)わうネオン街のゲート通りやセンター通りがある。
コザでは子供たちのグループが自然にいくつも生まれ、野球や将棋もして遊んだが、喧嘩(けんか)も絶えなかった。そのひとつのグループのガキ大将が佐渡山だった。
腕白少年の目にコザはどう映ったのだろうか。
「米軍基地には違和感もなく、フェンスの向こうに違う世界があるとしか思いませんでした。GI(米軍兵士の俗称)とは結構仲が良くてね、彼らの子供もフレンドリーでしたよ」
フェンス越しに米軍兵の息子が、「飼っているシェパードが子供を産んだから」と言って、子犬を貰(もら)ったこともある。子犬には佐渡山のイニシャルの「S」の名前をつけて可愛がった。野戦用のピーナッツが入ったビスケットも貰った。佐渡山も芋畑で掘った芋やサトウキビを渡すという間柄になった。クリスマスになると、サンタクロースに扮した米軍兵が運動場に姿を現し、皆にハーモニカ、クレパス、色鉛筆などを配ってくれた。
- プロフィール
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澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。