よみもの・連載

あなたの隣にある沖縄

8.沖縄へのラブソング

澤宮 優Yu Sawamiya

俺は歌い続ける
 平成7年9月4日に沖縄本島北部で米海兵隊員2人と米海軍軍人1人が、沖縄の12歳の少女を車で拉致し、海岸で暴行するという事件が起こった。ところが日米地位協定のため、実行犯の身柄は日本に引き渡しがなされなかった。
 この現実に沖縄県民の怒りは爆発する。翌月の10月21日に宜野湾(ぎのわん)市で県民総決起集会を開き、大田昌秀知事(当時)ら約8万5千人が集まり、事件への抗議、日米地位協定の見直し、米軍基地の整理縮小を政府などに訴えた。
 沖縄のために、少女のために、沖縄の人々が集まり声をあげる。そこに佐渡山の姿もあった。そこにはマブヤーと呼ばれる沖縄の魂があった。
 それからしばらくたった時期だ。菊之露(きくのつゆ)という酒造会社が佐渡山に連絡をくれた。会社のCMでぜひ佐渡山に「ドゥチュイムニィ」を歌ってくれと頼んだ。しかし自分はもう音楽の世界から足を洗い、建築士として生きている。その酒造会社のCMのオファーには佐渡山も驚いた。
 こんな悲惨な事件が起きたら、今までの泡盛のイメージソングで和気藹々(わきあいあい)と「泡盛どうぞ」と言ってもしっくりこない。それよりも沖縄が日本に復帰したときに佐渡山が「ドゥチュイムニィ」で方言で叩きつけるように歌ったことで皆の元気が沸き立ったことを思い出してほしいと。だからあの歌をもう一度歌ってくれないかというオファーだった。佐渡山は歌をやめて17年が経(た)ち、引き受けることに躊躇(ちゅうちょ)したが、会社側は三か月にわたって口説き続けた。
 もう一つ佐渡山を後押しした出来事があった。少女への暴行事件に抗議する県民総決起集会が終わった後、赤ん坊を抱いた若い母親が佐渡山の自宅を訪れた。彼女は石垣島生まれの女性だ。小さいころから佐渡山の「ドゥチュイムニィ」を聞きながら育ち、この曲がお気に入りだった。いつか生で聞きたいというのが彼女の夢だった。
 彼女は総決起集会へ参加して、その足で佐渡山の家に向かった。彼女は会うや否やまっすぐに彼を見つめて言った。
「石垣島の仲間のためにも、この子供のためにもレイプ事件など最悪の事件が繰り返されないように石垣まで来て歌っていただけませんか」
 こうした周囲からの働きかけによって、佐渡山は「お前何やっているんだ。皆のために歌わなきゃいけないぞ」と励まされる思いがした。
 佐渡山は回想する。
「彼女は赤ちゃんを抱っこして、県民総決起集会に参加するため、石垣島から来られた。よほど思うところがあったのでしょう。私の許に来られ、ぜひ歌ってほしいと。抱っこされている可愛い赤ちゃんを見て、この子のためにもノーと言えないと思いました」
 佐渡山は17年ぶりにギターを取り出して石垣島で歌った。ライブのステージにはウチナンチュだけでなく、内地から移住した人もいた。皆は「ドゥチュイムニィ」を聞いて、とても元気が出たと語ってくれた。

プロフィール

澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。

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