よみもの・連載

あなたの隣にある沖縄

8.沖縄へのラブソング

澤宮 優Yu Sawamiya

 母親を殺された同級生はハーフで、父親は米軍基地で働いていた。彼は佐渡山に「殺されたのは僕のお母さんです」と言っただけで、それ以上は何も言わなかった。
 この事件で彼の心に残った傷が「僕はもう泣かない」の歌詞にも反映されることになる。
「お母さんが死んだという友人の思いを歌にしました。それは日記の形にすぎないかもしれませんが、沖縄の人々の涙や吐息を残しておきたいという思いがあったんです」
 このころ、佐渡山は音楽と出会った。彼の兄が質屋でガットギター(弦が羊や豚の腸で作られたもの)を8ドルで手に入れてきたのである。兄が使っていないときに佐渡山も見よう見まねで弾いてみた。すると兄よりも上手になった。兄はそれを見て、
「豊、上手くなったな。お前、流しになれるよ。だったらギターあげるよ」
 と言ってくれ、それから毎晩ギターを弾くようになった。そのころは古賀政男の「影を慕いて」を弾いていたが、その後ボブ・ディランなどアメリカのフォークソングを聞くようになると、曲作りへと発展してゆくことになる。
 高校のころ、佐渡山は沖縄の言葉で詩を書くようになっていた。以前に姉が誕生日プレゼントに白い日記帳をくれたので、彼は毎日方言で日記をつけていたのである。まずは自己紹介、次に自分の生まれたコザの町、そういうふうに書き足されて、散文詩のようになった。さらに母親から注意されたそばの食べ方のこと、母が「物事には本物と偽物があるんだよ」と言ったことなどが記され、次第に内容は深まっていった。それも後に「ドゥチュイムニィ」の歌詞になってゆく。それは彼の自己精神史にもなっていった。彼は言う。
「『ドゥチュイムニィ』は今思えば先人からいただいているもの、それを自分なりに溶かして書いたものが随所に出てくるという感じがします」
 佐渡山は琉球大学農学部に進学するが、そのころには歌詞にプロテスト的な内容も入るようになる。それは親友の死がきっかけだった。

コザ事件
 その友人は佐渡山が新聞配達をやっていた新聞販売店の次男坊でキヨシといった。ともに琉球大学に入った間柄だった。佐渡山が酒をたくさん飲むと、「あまり飲み過ぎるなよ」と心配するなど、何かにつけ自分を気にしてくれる存在だった。キヨシは大学で英文学を専攻し、いずれは教授になれるほど有望な学生だった。
 ある夜に大学生のダンスパーティが行われた。佐渡山は早く帰る用事があったので、キヨシに「飲み過ぎるなよ」と声をかけて別れた。その翌朝早くに電話があり、彼が琉球大学の通称生物ビルから落ちて死んだと連絡が入った。

プロフィール

澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。

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