第五話 夏ざかり宴競べ
島村洋子Yoko Shimamura
まだ寒いうちにどこからか桜の蕾(つぼみ)を入手し、そして桜が満開の頃は桜のことなど忘れたように先取りの菖蒲(しょうぶ)や杜若(かきつばた)を飾らねばならない。かと言って紫陽花(あじさい)まで先取りしてしまうと早過ぎることになってしまう。
いつも届きそうで少し手の届かないものを庶民にちらつかせてあこがれさせるのは、花魁の髪や着物とも通ずるものがある。
茶の湯というものはどこまでも奥が深く、一流の花魁の髪を手がけている髪結いとしては学ぶことが多かったが、それは難しい分、励みでもあった。
「本日もありがとうございました」
いつものように南部坂の茶室を辞そうとした清吉に家元の加賀見護久が、
「今日は大川の花火らしいですなあ」
と言った。
草履(ぞうり)を履く時に日々のことを少し触れるのはいつものことである。
「そうでございます。今日は花魁が櫓の上から生まれて初めて花火をご覧になるというので、それを下から拝見しようと思っておりまして」
「ほう、それは面白い」
家元が身を乗り出すようにして言った。
「清吉さん、お邪魔でなければそこに私もご一緒してよろしゅうございますか」
え、っと驚いた清吉だったが、断る理由もないので、
「はい、もちろんです」
とうなずいた。
変な弥次喜多(やじきた)道中だなあ、と内心、苦笑しながら清吉は護久と並んで吉原へと向かうことにした。
そういえば護久は吉原に何度か通い、お大尽のふりをして花魁を買ったのはいいが何故(なぜ)か指一本、触れなかったという不思議な男である。
後で調べると護久は女には興味のない男だった。
そういう男は芸道に通じている者も多く、髪結いの中にも見かけることはあったが、清吉は歩いているうちにあっ、と声をあげそうになった。
もしかすると護久は自分に狙いを定めているのではないか。
そう考えると数々の親切が腑(ふ)に落ちる。
思わず護久を振り返ったら、微笑みが返って来たので清吉は頭を下げた。
- プロフィール
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島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。