第五話 夏ざかり宴競べ
島村洋子Yoko Shimamura
十一
吉原の九郎助稲荷はもともと京町(きょうまち)二丁目の隅、羅生門河岸(らしょうもんがし)の長屋の横にあった。
どういう発祥なのかはそこに生まれた千葉勝左衛門(ちばしょうざえもん)にもわからない。
嘘か誠か勝左衛門の先祖である千葉九郎助がある夜、田圃(たんぼ)の畔道(あぜみち)を歩いている時に空からキラキラ光る何かが落ちてくるので駆け寄って見ると、それは銀色に輝く一匹の狐(きつね)だった。
驚いた九郎助が手を伸ばして触れようとすると狐が「わしを祀(まつ)って崇(あが)めよ、さすればこの地の五穀豊穣(ごこくほうじょう)を約束しよう」と言ったので、九郎助はすぐに小さな祠(ほこら)を建てた。
それは「田の畦稲荷」と名付けられ、近所の百姓の信頼も厚く、霊験あらたかで毎年たしかな収穫があった。
年を経るごとに評判が評判を呼び、いつのまにか近くの下層の女郎たちの信仰を受け、吉原廓(くるわ)内に勧請(かんじょう)されるようになったと伝わっている。
もともとは神の道とは関係がなかった千葉家ではあるが、これも何かの縁として代々長男は九郎助稲荷の神官を務めるようになり、いま勝左衛門は五代目九郎助を名乗っている。
しかし男子がいなかったので娘二人のどちらかに養子を迎え、六代目九郎助として継がせようと思っていたら、上の娘のおつねが何処(どこ)の馬の骨ともわからない男と出奔(しゅっぽん)、探しに探したが見つからず、仕方なく下の娘のお絹(きぬ)に養子を迎えることにした。
月日は流れておつねという娘がいたことも皆が忘れ始めたある日のこと、突然おつねが現れたのである。
もはや叱(しか)る時期も過ぎ、いったい何事かと勝左衛門が驚いているとおつねの娘、つまり勝左衛門にとっては初孫(はつまご)があろうことかかどわかされてこの吉原で客を取らされているので助けてくれ、と言う。
どういうことなのか詳しくはわからなかった勝左衛門だが一計を案じ、おつねの娘、お峰を助け出した。
それからは時々おつねからの便りもあるようになったし、婿(むこ)養子に迎えた下の娘のお絹の夫の作次郎(さくじろう)も神事をかなり覚えて六代目を継ぐ日も近い。
おつねの話では縁あって上州に嫁ぐことになった孫のお峰は、この前の大川の花火の日に顔見知りに見咎(みとが)められたので早目に嫁に出したいということが寂しかったが、落ち着けば会いに行けるだろう。
このところ勝左衛門にとっては人生で初めてやって来たともいえる穏やかな日々で、いままで出来なかった他の神社の手伝いや吉原で起こる揉(も)め事の仲裁、幕府へのお届けや宗派の集まりなどに顔を出すことも増えた。
自分の残りの人生は神様への恩返しと思い、人様からの頼まれ事をなるたけ断らないようにしていた。
江戸の三富といわれる湯島天神(ゆしまてんじん)、谷中(やなか)の感応寺(かんのうじ)、目黒不動尊(めぐろふどうそん)はもちろん、その日も日本橋(にほんばし)の福徳(ふくとく)神社で行われる勧進富籤の立ち会いであった。
- プロフィール
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島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。