第五話 夏ざかり宴競べ
島村洋子Yoko Shimamura
「絵だけではなく字も剥がせますか」
という清吉の問いかけに何かを察したのであろう番頭は、
「不正な文書を作ったり使った折には獄門になりますよ」
と咎めるような口調で言った。
「いえね、この度小間物の商売で暖簾分けしていただくことになり、本店の由緒を書いた書状でも飾って箔(はく)をつけたいがいちいち書き写すのも面倒なんで、なんか貼り付けてこう、ぺろっと剥がせばできないかなあと、いまふと思いつきまして、どうにもこうにも無精なたちでいけませんや」
清吉はそう言いながら頭を掻(か)いたが、ここまでわかればもう良かったので、丁寧に礼を言って表具屋を後にした。
「そういうことでありんしたか」
「惣吉さんの腕をもってすれば容易(たやす)いことでしょうな」
「でもどうやって」
と龍田川が声にした時、暖簾が揺れ、思いがけない人が入って来た。
十四
清吉に言われて昼下がりにこっそりと亀屋の暖簾をくぐった角海老楼の六歌仙は、そこに憧(あこが)れの昼三と呼ばれる最高位の春日屋の花魁龍田川の姿を見つけて息を呑んだ。
気を利かせた清吉が会わせてくれたのだろう。
まだ店に出る前のくつろいだ姿でいつものキリッとした勝負師のような強さはなかったが、それがかえって若い娘独特の華やぎで可愛らしくも美しくもあった。
「本当に花火の折には失礼をいたしまして、申し訳ありませんでした」
廓(くるわ)言葉ではなく、花魁ではないただひとりの人として六歌仙は心の底から詫(わ)びた。
「もう済んだことでありんす」
龍田川はわざわざ立ち上がり、
「あの旦那はお亡くなりんしたとお伺(うかが)いしましたが、あんなにお元気でしたのにほんに悲しい儚(はかな)きことでありんすなあ。六歌仙さんもお力をお落としなさらぬように」
と怒るどころか優しく六歌仙をねぎらってくれた。
その言葉に六歌仙は急に胸がいっぱいになり、涙を禁じ得なかった。
今回のことだけではなく星形のほくろを入れてからこちら、目まぐるしい日々が続いて我が身ながら持て余すような気分だったのが、龍田川の言葉によって我に返った心地がしたのである。
「富突きの日に、お侍に斬られておしまいになりまして」
「何か遺恨があったんでありんしょうかねえ」
龍田川の言葉に六歌仙は首を横に振り、
「いえ、それがあの日、福徳神社で初めて会ったそうなんです」
と自分の知っていることを語り出した。
- プロフィール
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島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。