第五話 夏ざかり宴競べ
島村洋子Yoko Shimamura
もしかすると出入りの芸者だろうか。
芸者は女切手を片手に大門を出入りして、吉原以外の宴席にも出ている。
いや、待てよ、芸者ではない。
芸者のような島田髷(しまだまげ)ではないし、吉原に来る芸者なら向こうから寅吉に会釈してくるはずだからだ。
寅吉は肩の上ではしゃぐお稲に時々、声をかけながら考えた。
そしてどーんと大輪の菊が頭上で花開いたと同時に閃いた。
そうだ、あれはお化けだ。
九郎助稲荷に出没するとかで大騒ぎになった白装束の女で、身元を洗ってみたら若い時分に駆け落ちした九郎助稲荷の神主の娘で、神様にお許しを乞うために百日間、水垢離(みずごり)をしていたお化け女だ。
毎日毎日大門を出入りしていたので見慣れてはいたが、百日でそれきり見かけなくなったので思い出せなかったのだ。
子どもを連れた自分のこの姿は間抜けなのだが、それでも一応は挨拶しておこう、と寅吉は、吉原でお見かけしましたねと軽い気持ちで挨拶をした。
しかし相手の反応がおかしかった。
隣にいる頭巾の女が蛇に睨(にら)まれた蛙(かえる)のようにすくみ上がってそのまま倒れんばかりだったし、それを庇(かば)おうとして九郎助稲荷の年増がしゃしゃり出てきたのも不思議だった。
若い時の駆け落ちなんて褒められた話ではないがよくあることだし、そんなに嫌がらなくても良いではないか。
寅吉は自分のしたことが悪いことなのかと考えた。
「何かのお間違いではないですか」
という年増の言葉に、寅吉はこれは何かあると確信した。
自分が女を見間違うわけはないからだ。
しかも神社の娘なら、四郎兵衛会所の男とはこれからも祭やなんやで世話をしたりされたりの縁があるはずだから適当に挨拶しておけばいいだろう。
なのにこの頑(かたくな)さはいったいどういうわけであろうか。
寅吉は横にいる頭巾の女をしげしげと見た。
目だけしかわからぬが妙齢の美しい女である。
なんとなく年増の女に似ている目元だ、母娘だろうか、と寅吉が考えた時、肩にいるお稲が急に泣き始めた。
- プロフィール
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島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。