よみもの・連載

吉原べっぴん手控え帳

第五話 夏ざかり宴競べ

島村洋子Yoko Shimamura

「よくはわかりませんが浪人をなすってて仕官の口を探していたんですがうまくいかず、傘張(かさは)りなんかもしていたそうなんです。しかしこれから子どもが生まれるそうで乾坤一擲(けんこんいってき)、お百度参りをして願をかけて無理して富籤を買うことにしたらしいんで。それが見事に二番富の当たりを引いて」
「なのに宮大工の惣吉さんが同じ当たり籤を持っていたということですね」
 清吉は六歌仙の言葉を引き取った。
「はい、不思議なことですが」
 そして龍田川に目配せをして、六歌仙にはなぜ惣吉が当たり籤を持っていたのかを伝えないことにした。
 不正をしたことは知らないほうが良いだろうと考えたのである。
 宮大工の惣吉は日頃から、施工や修繕などで神社仏閣と昵懇(じっこん)であったと思われる。
 富突きに使う龍(りゅう)などの彫り物が入った大きな木箱も大工仕事の片手間に惣吉が作った物もあると聞くし、いろいろ繋(つな)がりはあったのだろう。
 どういういきさつかは判然としないが、売る前にすべての籤を入手し、昔取った杵柄(きねづか)である表具師の時の技術でそのいちいちを二枚に剥がし、いろいろな神社で当たりが出るたび、手をあげていたのだろうと清吉は思い至った。
 後で分け前を与えることにして信用できる配下や知人に名乗り出てもらうこともあっただろうし、自らが名乗り出ることもあったのに違いない。
 巧妙なのは一番富だけではなく、下位の当たりに手を挙げることもあったところである。
 すぐに手を挙げる者がいない場合は当選した者はその場におらず後で届け出ることになるのだが、惣吉はそれをよく見ていた。
 例えば「梅の八百八十番、梅の八百八十番、おられぬか」と勧進元が呼びかけるのを見ていて、出て来る者がいないと見極めるやにわかに自分や配下が手を挙げる寸法だったのだろう。
 後日、本物の当たり籤を持った者が現れて揉め事が起ころうがそれは後の祭りである。
 しかしこの日は勝手が違った。
 二番富に誰も名乗り出ないのを見て惣吉がしゃしゃり出たところ、自分が当たり籤を持っていると遅れて気づいた浪人が出てきて、怒りに任せて惣吉を斬ったのだ。
「いずれにしても気の毒なことで。冥土(めいど)で幸せになりんさるようにお祈りしましょう」
 龍田川はそう言って手を合わせたので六歌仙も釣られて手を合わせた。
 ふだんは静かでことをわきまえた良い人だったが、櫓の上から金を撒いている惣吉は別人のように恐ろしかった。
 何かの魔が入って惣吉を動かしたのかも知れぬと思うと、自分の彫った星形を六歌仙は恐ろしく感じた。
 あの黄表紙に書かれていた入れ墨を入れた波斯(ペルシヤ)の踊り子の最期(さいご)も、もしかしたら恐ろしいものだったのかもしれない。
 そう思って身をすくめた六歌仙の襟足をいつのまにか龍田川が覗(のぞ)き込んでいた。
「まあ、本当に噂に違(たが)わぬ綺麗な星でありんすなあ」
 龍田川の言葉に六歌仙は恥ずかしそうに、
「あ、これは」
 と何か言いたそうな様子だったが少し黙ったあと、ほほ笑んで言った。
「なんだかんだでこれのおかげで生きてこれました。でもこれは本当は入れ墨なんですよ」
 清吉と龍田川は顔を見合わせて「そういうことか」とうなずいたが、言葉にはしなかった。
 三者三様、はっきりさせねばならないことを持っているのだがそれを言うのはこの場ではないとめいめいが考えたらしい。
 張り詰めたまま夕刻も近づき、もうすぐ花魁道中が始まる頃となった。
 清吉は二人の花魁を並べて髪を整え始めた。
 それぞれの前に据えられた鏡には、やはりそれぞれに美しい花魁が映っている。
 三々九度の盃(さかずき)を交わし、かりそめの夫婦の真似事をするだけの身を売る商売であるが、客は皆、自らの夢を花魁に投げかけている。
 その夢を手伝い、毎夜、一夜限りの美しい花嫁に仕上げるのが自分の大事な仕事だ、と清吉はあらためて意を強くした。
 同じ頃、上州草津ではお鶴と名を変えた本物の花嫁が桶職人との三々九度の盃(さかずき)をあげていた。
 その女がどこで何をしていたのか本当のことは誰も知らない。

プロフィール

島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。

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