第五話 夏ざかり宴競べ
島村洋子Yoko Shimamura
十二
その日、商売で使う鬢付け油を買いに来た吉原の髪結処亀屋の清吉は、福徳神社へのお詣(まい)りついでに富突きを見ていた。
興奮の中にも絶望やら喜びやらが交差する富突きは面白い、と思っていた時に目の前の浪人風の男が大刀を抜いて「当たりだ!」と騒いでいる男に突然、斬りかかった。
清吉は浪人に体当たりした。
形ばかりの警備をしていた同心や岡っ引きも人波の中を飛び出してきて、大刀を抜いた浪人風の男を取り押さえた。
目の前に血まみれで倒れている職人風の男の息が絶えてしまっていることは清吉にもわかった。
大太鼓が鳴って、
「今日のところお開きである。いずれ沙汰があるまで富籤は大切に持っているように」
浪人風の男が取り押さえられ連れて行かれる後ろ姿を眺めながら、清吉は自分の見たものが実際に起きたこととは思えなかった。
福徳神社での阿鼻叫喚(あびきょうかん)には調べれば調べるほど謎(なぞ)が深まる様子で、瓦版(かわらばん)はもちろん軒を行き交う雀(すずめ)でさえも口を開けばこの富突きの話で持ちきりであると噂されるお江戸の町であった。
清吉は、来る客や出入り業者の噂からあの時殺された男が花火の夜に櫓の上から金を撒いていた角海老楼の花魁六歌仙のお客、宮大工の惣吉だと聞いて俄然(がぜん)、興味を持った。
そもそも星形のほくろを持つ六歌仙がいくら自分を買った男に幸を授ける運を持っていると言ったって、道行く者たちに金を撒くほどの富をもたらせるわけはない。
なんでも聞いたところによると一番富ではないが、二番富や三番富などの高額な当たりが何度も出たというが、それはどう考えても怪しい話である。
今回も惣吉の懐の中には二番富の当たり籤が入っていたと噂されているし、惣吉を斬りつけた浪人のような風体の男も同じ当たり籤を持っていたと聞く。
どちらかが不正をしていたのか、あるいは何かの不手際があったのかはわからないが心当たりはないだろうか、と呼び出されて角海老楼にやって来た清吉は尋ねた。
花魁にだけ許された大きな簪(かんざし)を頭に幾つも挿した六歌仙は清吉の言葉を黙って聞いていたが、やがて本当に困ったように言った。
「あちきには何がなんだか、皆目……」
ただ惣吉は不誠実な人間ではなく、どちらかというと真面目(まじめ)な気性らしい。
そもそも花魁になってからの仲ではなく、星形のほくろが評判になって売れ始めたあたりからの客だったというから六歌仙もその性分はよく知っているのだろう。
「きっぷのいい、優しい人でした。お手が器用でキセルをあっという間に直してくれたり、物だけでなく、寂しいだろうと小鳥をくれたり」
そういう六歌仙は花魁に昇格してからずいぶん色気が増して来たように清吉には見える。
やはりよく言われることだが、その立場が人を作っていくとは本当のことなのだろう。
襟奥(えりおく)に見える星形のほくろも艶(なま)めかしく見える。
- プロフィール
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島村洋子(しまむらようこ) 1964年大阪府生まれ。帝塚山学院短期大学卒業。1985年「独楽」で第6回コバルト・ノベル大賞を受賞し、作家デビュー。『家族善哉』『野球小僧』『バブルを抱きしめて』など著書多数。