よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第十七回

川上健一Kenichi Kawakami

 水沼は正気に戻り頭を軽く振って照れる。大昔の初恋を調子に乗って得意げにいう、はしゃぎすぎる浮かれた男。照れ隠しに盛大に手を擦(こす)り合わせた。彼女は水沼をやさしく抱きしめるような笑顔を向けて首を振った。
「いいえ。もう知っていますわ。背格好は中くらいで、立ち姿が綺麗(きれい)。ショートカット、丸顔で、いつも微笑んでいて笑顔がキュート、声は明るくてハキハキしていて、でもいい方は控えめ。清楚で理知的な瞳、成績優秀、駆けっこが速くて、リズム感がバツグンでドラムが上手、フォークダンスの踊りはしなやかで見ほれてしまうほど素敵。どうですか?」
 と彼女はいった。
「彼女と友達だったこと隠してましたね」
 水沼は冗談を飛ばして笑った。「本当にそんな感じの彼女でした。でも決して美人という女子ではなかったんです。かわいいとか美人という女子は他にいたけど、なぜだか彼女のことが好きになってしまったなあ」
 水沼は少し口を開けて苦笑した。
「好きになるって不思議なもので、自分でははっきりと理由が分からないことがありますよね。他人には分からない、自分だけが分かる何か。好きになるってそんなことのような気がします。それで陸上競技場で二人きりになったその時、初恋の彼女さんと何か言葉を交わしたんですか?」
 と彼女はいった。水沼は目を閉じた。記憶を辿(たど)った。そして目を開けていった。
「ええ。二人きりといっても周りには何人かいて、でも、みんな他の学校の知らない先生とかリレーの選手の女の子たちで、その人たちは誰一人として私と彼女に注意を向けていなかったので、周りの目はまるで気にならなかったから二人きりという気分でした。勇気を出して、そうだ、顔が火照って耳が猛烈に熱くなったのを覚えてますよ。『がんばれよ。応援してるからな』と声をかけたら、彼女、驚いたみたいだったけど、うれしそうに笑って『うん。ありがとう』っていってくれて、彼女の顔がうっすらと赤くなって、『うん』って笑ってうなずいてくれて、本当にうれしそうで、よそよそしくなくて打ち解けた感じで、お互い軽く手を上げてすれ違って、うれしさが爆発してしまいそうで、舞い上がっているのを彼女に悟られまいとしたけど、心臓がドキドキだったし、脚に感覚がなくて雲の上を歩いているようだったなあ」
「きっと彼女さんもうれしくて、フレンドリーに、うん、とうなずいたんでしょうね」
「いやあ、どうかなあ」

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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