よみもの・連載

雌鶏

第四章

楡周平Shuhei Nire

「どうも、体調が日に日に悪化している自覚があるようで、長くないことに気がついているみたいね」
「やっぱりね……」
 鴨上は合点がいった様子で頷いた。「先生には、持病があって社長業をいつまで続けられるか分からない。在職中に万一のことが起きては大変だから、そろそろ隠居したいのだが、いくら同族会社とはいえ、まだ次長の長男をいきなり社長に据えるわけにはいかない。せめて五年。長男に代わって社長をやってくれる適任者を推挙してくれないかと言ってきたんだ」
「そりゃあ、人工透析装置が開発されたのは、つい最近のことですもの。あの機械がなければ、今頃は亡くなっていたんですよ」
 貴美子は言った。「杉下さん、透析はかなり辛(つら)いっておっしゃっていたし、糖尿病からの腎不全は完治しませんからね。実際、杉下さんには告げてはいませんけど、主治医もそうおっしゃっているんでしょ?」
「まあな……」
 杉下の病状など、どうでもいいとばかりに鴨上は軽く去(い)なす。
「でも、なぜ先生を頼ったのかしら」
 貴美子は、ふと思いついたままを口にした。「だって、そうじゃありませんか。日頃取引している銀行に相談するとか、同業他社の中から見つけるとか、方法はいくらでもあるでしょうに……」
「それは理屈というものでね。外に人材を求めるとなると、なかなか難しいんだよ。特に今回の場合はね」
「と、言いますと?」
 貴美子が再度訊ねると、その理由を話し始めた。
「会社は武家社会に似ていてね。社員の意識は武士そのものなんだな」
 鴨上の語る意味が理解できず、
「武士?」
 貴美子は問い返した。
「雇ってもらったからには、会社に忠誠を誓い、忠義を尽くす。会社を転ずる行為は脱藩行為。裏切り以外の何ものでもないと考えているんだ。だから、声をかけたところで応ずる者はまずいない。二つ返事で乗ってくるようなヤツは、己のためなら会社を裏切る、それすなわち他人を裏切ることも厭(いと)わない。信を置けない人物とみなされてしまうんだ」
「じゃあ、先生にお願いしても――」
「だから先生を頼ったんだよ」

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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