よみもの・連載

雌鶏

第四章

楡周平Shuhei Nire

「でも、亀井さんが新社長に就任した途端、大口取引先を、それも古巣の四葉商事に持って行かれたとなれば――」
「責任問題になるだろうし、背任行為と見做(みな)されても仕方がないだろうね」
「私の見立てが外れたことにもなるじゃないですか。それじゃあ、先生だって――」
 もちろん、鬼頭に考えがあってのことには違いないのは百も承知だが、果たして、貴美子の言葉の半ばで鴨上は口を開く。
「取引先は失った。大打撃を被ることになったが、亀井がいたからこの程度で済んだ。彼が社長じゃなかったら、八紘産業は潰れていたかもしれないとなれば話は違ってくるだろ?」
「えっ?」
「そのアメリカの会社には、博士号を持っている研究者が三千人以上もいるそうでね」
 巷間『末は博士か大臣か』という言葉がよく使われるのは、国会議員になっても大臣になれるのは僅(わず)かしかいないのと同様に、たとえ大学に進学しても、博士号を取得するまで学問を極める者は極めて少ないからだ。
 なのに、一民間企業がそれほどの数の博士号取得者を抱えているとは俄(にわか)には信じられず、
「三千人以上……ですか?」
 貴美子は思わず問い返した。
「アメリカの大学は、桁違いに多いからね。日本の旧帝大は七校だが、東部の名門アイビーリーグだけでも八校。他にも有力私立や州立大学がたくさんあるんだ。そりゃあ、博士号取得者の数だって日本とは比べものにならないさ」
「それじゃあ、日本が戦争に負けるのも当たり前ですよね……」
「しかも、民間会社の研究開発費も日本とは雲泥の差だそうでね。潤沢な資金、卓越した研究開発能力を駆使して、日常生活の広い分野で活用できる、画期的な新素材の開発に成功したというんだな」
「それは、どんなものなのかしら?」
「さあ……」
 鴨上は首を傾(かし)げる。「どんな素材かなんて、先生にとってはどうでもいいことだ。興味の対象は、それがどれほど大きな商売になるのか。誰の願いを叶えてやれば、自分の力が、より大きくなるのかにしかないんだ」
 まさに、言わずもがなというやつだ。
 黙って頷いた貴美子に向かって、鴨上は言う。

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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