よみもの・連載

雌鶏

第四章

楡周平Shuhei Nire

「つまり、八紘産業はもはや用済み。足手纏(まと)いになりこそすれ、取引を継続する理由はない。新製品の登場を機に、四葉に乗り換えたいとアメリカの会社は考えているわけですね」
「今まであって当たり前だった売上が、突然三割以上もなくなってしまったら、間違いなく、八紘産業は会社存亡の危機に直面することになる。単に売上が激減するだけじゃない。なにしろ八紘産業には、この会社の製品のみを扱う事業部があって、本社だけでも百人からの社員がいるというんだ」
「仕事がなくなったからといって、すぐに解雇もできないでしょうし……」
 その言葉を待っていたように、鴨上は言う。
「亀井が手腕を発揮するのはその時だ」
「どうなさるんですか?」
「四葉に縋(すが)るのさ」
 鴨上は当然だとばかりに軽い口調で言う。「四葉の系列会社の一つになるのさ。系列会社に甘んじることになっても、倒産して従業員を路頭に迷わせることに比べれりゃ遥かにマシだ。四葉商事にしたって、八紘産業をそっくりそのまま手に入れられるんだ。しかも、八紘産業の給料は四葉より大分安いというオマケつきでだ。四葉だって、是が非でも実現したいと思うさ」
 かくして鬼頭は、日本屈指の総合商社、四葉に貸しを作ることになり、財界における影響力を、ますます強固なものにするというわけだ。
 それにしても、と貴美子は思った。
「創業家が慈善事業の原資を確保するために、高配当を求めるのは理解できますけど、そのために大変な思いをする人がいるって、何だか矛盾しているような気もしないではないのですけど……」
 感じたままを貴美子が口にすると、
「桜の下には死体が埋まっているって言うけどさ、慈善事業だって同じなんだよ」
 鴨上は真顔で返してきた。「慈善事業だってカネがなけりゃできないし、一過性で終わってしまったのでは意味がない。重要なのは継続性なんだ。安定的な収入源の確保は必要不可欠。極端な話、収入を確保するために、苦しい思いをする人間が出ても、恩恵に与(あずか)る人間が遥かに上回るのなら、それも止(や)む無し。いや、そもそも善行の影響で苦境に立たされる人たちがいるなんて、想像だにしていないだろうね」
 鴨上の言う通りかもしれない。
「桜の木の下には死体が埋まっている、か……」
 貴美子は、鴨上が語った言葉を呟(つぶや)いた。「慈善団体の活動は傍目(はため)には満開の花を宿した桜の木。花が多ければ多いほど、救われる人間も増えていく。その原資を確保、維持するために、どれほど多くの人が苦しい思いをしているかに気づかずに……」

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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