よみもの・連載

雌鶏

第四章

楡周平Shuhei Nire

 自分が味わった苦痛、屈辱、そして殺人の前科に匹敵する、いやそれ以上の塗炭の苦しみを味わわせてやる。
 そのためには、まず清彦の消息を掴むことだが……。
 貴美子は鴨上を正面から捉えた。
 おそらく貴美子の瞳にはただならぬ気配が宿っているのだろう。
 鴨上は貴美子の視線を捉えたまま、「言ってみろ」とばかりに、軽く顎をしゃくる。
「井出清彦という男を探してほしい……」
 喉まで出かかった言葉を、貴美子はすんでのところで飲み込んだ。
 貴美子の過去を、養子に出してからの勝彦のことを、ここまで調べ上げたくらいだ。鴨上に依頼すれば、清彦の消息を掴めるのではあるまいかと考えたのだったが、ふと知った後のことに思いが至ったのだ。
 清彦に会ってどうするのか。
 いまさら、よりを戻せるわけじゃなし、そんなつもりはさらさらない。
 不義理を詰(なじ)り、罵声を浴びせるくらいが精々だし、清彦にしても、その程度で済むのならお安いものだ。
 ならば、どうする?
 清彦のことだ。不義理を働くに当たっては、応分の理由があったのに違いない。
 では、その理由とは何か……。
 考えられるのは、ただ一つ。
 約束を果たすより、遥かにいい人生を歩む道が開けたからだとしか考えられない。そして、いい人生とは、清彦の場合は金だ。大金を掴む機会に巡り合ったに違いあるまい。
 考えがそこに至った瞬間、貴美子の脳裏に一つの言葉が浮かんだ。
 豚は太らせて食え……。
 地位、名声、権力。金だって、掴んだものの大きさに比例して、失うことへの恐怖は増す。そして、どれほど大きな成功を収めていようとも、欲に尽きることはないのが人間だ。
 清彦の消息を知ってしまえば、胸中に渦巻く思いの丈をぶちまけずにはいられなくなる。留(とど)めておけば、悶々(もんもん)とした日々を過ごすことになるだけだ。
 それに復讐とは他人の力を借りるより、自らの手で行うに限る。なぜなら、果たした時の達成感、快感が違うように思えるし、相手の失うものが大きければ大きいほどそれが格段に高まるからだ。
 ならば、太らせるだけ、太らせることだ。
 そのためには今の立場を利用して、己が力をつけること。復讐するのは、それからだ。
「お願い事をしようと思ったんだけど、やめておくわ」
 貴美子は微笑みながら首を振り、「勝彦の話を聞いたら、酷く疲れてしまったわ。少し休むわね」
 そう言い残すと、鴨上を残して席を立った。

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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