よみもの・連載

雌鶏

第四章

楡周平Shuhei Nire

「いつの時代でも戦(いくさ)には略奪、凌辱、あらゆる蛮行が繰り広げられるものだが、それも戦の最中、余韻が醒(さ)めやらぬうちのこと。社会が平穏になるにつれてあまり発生しなくなる。なぜだか分かるかね?」
 そんなことは考えたこともない。
「さあ……」
 首を捻(ひね)った貴美子に、鴨上は言う。
「戦は、とどのつまり殺し合いだ。戦場に立たされ、次の瞬間には死んでいるかもしれないと思えば、正気でいられるはずがない。つまり、兵士はみんな狂気に駆られているんだよ。そうじゃなければ、殺し合いなんてできやしないだろ? だから、戦が終わって死の恐怖から解放されれば正気に戻る。平時になれば、社会も法と秩序を取り戻す。犯罪は法の下で裁かれることになるんだから、そりゃあ激減するさ」
「じゃあ、お母さまは、息子が犯した罪を平時の感情でお考えになったとおっしゃるのですか?」
 そこで、鴨上は貴美子に視線を向けると、しみじみとした口調で漏らした。
「君は、本当に運がいいよ……」
 その言葉の意味が分からず、貴美子は訊ね返した。
「運がいい?」
「偶然が重なったんだよ」
 鴨上は言う。「一つは、君を襲った二人の兵士が、近々本国に戻ることになっていたこと、もう一つは、時期からして、米軍は北朝鮮の南進近しと予測していたんだろうな。事件の十日後に父親は夫人と一緒に日本に駐留することになっていたことだ」
 一つ目の理由を聞いて、貴美子は、あの二人の兵士が蛮行に及んだ動機が見えたような気がした。
 そんな内心が表情に出たのか、鴨上は静かに頷く。
「旅の恥はかき捨てという言葉があるけど、敗戦国で戦勝国の兵士がどんな犯罪行為を働こうと、帰国してしまえば罪に問われることはないとたかをくくっていたんだろうな。現に、この手の犯罪は山ほどあったはずなのに、発覚したのは氷山の一角に過ぎない。米軍の統治下にあっては、満足な捜査がなされることはなかったんだからね」
 鴨上の言う通りだと貴美子は思った。
 殺人は最も重い罪である。なのに、躊躇することなく人を殺し合えるのは、己の生死がかかっているからだけではない。何人、何十人と殺害しようと、決して罪に問われはしないからだ。
 鴨上は続ける。
「母親は事件の経緯を聞いて、非は絶対的に息子にある。女性に対する凌辱行為は断じて許されないと強く息子の行為を非難したそうでね。彼女は被害者だ。重罪を科せば恥の上塗りになると、GHQの高官に進言したそうなんだ」

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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