よみもの・連載

雌鶏

第四章

楡周平Shuhei Nire

「何があったんですの?」
「創業家が経営から手を引いたんだ」
「手を引いたって、世界中で独占的に製品を販売しているのに?」
「アメリカってのは面白い国だよ」
 鴨上は苦笑を浮かべる。「先代の跡を継ぐはずだった男が、経営に関心はないって言い出したというんだな」
「同族ならば、一族の中に経営に携わっていた人もいたのでは?」
「もちろんいたさ。でもね、一族といっても様々だ。最も強い力を持つのは、大株主の創業家なんだよ。しかも、そいつが経営から手を引いて何をやるかと思いきや、財団を立ち上げるっていうんだな」
「財団?」
 思いもつかなかった言葉を聞いて、貴美子は声を吊(つ)り上げた。
「その財団を通じて、慈善活動をするんだとさ」
 さすがの鴨上も理解できないでいるらしく、呆(あき)れた口調で言い、勢いのまま話を続ける。
「まあ、世界的な大会社の創業家だ。大金持ちには違いないが、収益源がなければ活動は維持できない。そこで彼は所持している株への配当金を活動資金の原資に充てることにしたと言うんだな」
「なるほど……。創業家は大株主ですから、好業績が続く限り、毎年莫大(ばくだい)な配当金が転がり込んできますものね」
「それも業績が上がれば上がるほど、配当金の額は増す。財団の活動資金も増えていくわけだ。そこで、彼は創業家、大株主の意向として、会社の収益体質をさらに向上させるべく、社外から優秀な経営者を招聘(しょうへい)せよと、現経営陣に提案したと言うんだ」
「そんなことしたら、生え抜きの社員から、不満の声が上がるんじゃありませんか? 特に、一族出身の役員は――」
「黙っていないのではないか」と、続けようとした貴美子を制して鴨上は言う。
「年齢、社歴に関係なく、有能な人間はどんどん上に行く。能力、実績が評価されて、昇給、昇格を条件に他社から誘いがくれば転ずることも厭わない。そこでまた実績を残せば評価が高まり、さらに高い条件で誘いがかかるのがアメリカの社会でね。終身雇用、年功序列、武家社会そのものの日本の会社とは根本的に違うんだよ」
「じゃあ、その会社は新社長を外から招き入れたんですね」
「同業他社の役員をやっていた男でね。転ずる前に在籍していた会社が四葉の化学製品部門と戦前から取引があって、戦前、終戦後の二度、アメリカに駐在していた亀井さんとは旧知の仲だったそうなんだ」

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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