よみもの・連載

雌鶏

第四章

楡周平Shuhei Nire

 鴨上は小首を傾げて薄く笑うと、短い間を置き口を開いた。「会社であろうと、政界であろうと、軍であろうと、こと組織において余人を以て代え難い人物なんて、いやしないさ。実際そうじゃないか。大臣であろうと、社長であろうと、いなくなれば、必ず代わりが出てくるのが組織ってものだからね」
「じゃあ、どうして?」
「はっきりとは分からないのだが、どうも対ソ連関係のトップを長く務めていたようでね」
「ソ連……ですか?」
「日本の敗北が決したも同然のところに、中立条約を一方的に破棄して宣戦布告した挙句、北海道を占領しようとした国だからね。平然と火事場泥棒を働く国だし、安保条約が締結されてからはアメリカ軍は永続的に日本に駐留することになったんだ。早晩ソ連とは、敵対することになると、アメリカは考えていたらしいんだな」
 鴨上の話は、まだ序盤のようだ。
 貴美子は黙って、先を聞くことにした。
 果たして鴨上は続ける。
「実際、ソ連は終戦から四年後に核実験に成功して、アメリカに継いで二番目の核兵器保有国になった。ソ連は社会主義の大国、片やアメリカは自由主義の大国だ。真逆の国家体制で動いている二つの大国が、世界の覇権を争うことになったからね」
「敵を最も熟知している将官が、職務を外されては困るというわけですか……」
「これは、集めた情報を元にした私の推測だが、現にあの事件が起きた翌年には、朝鮮戦争が勃発したよね。突然北朝鮮が韓国に侵攻したのも、ソ連との間で密約が交わされたからじゃないかと見る向きもあるんだ」
 推測と語る割には、鴨上の言葉が確信めいたものに聞こえるのは気のせいだろうか……。
 しかし、貴美子の関心は、そこではない。
「鴨上さんがおっしゃる通りなら、事件がGHQ内で秘密扱いされた理由は分からないではありませんけど、私に下された量刑が軽く済んだ理由にはならないと思うのですが?」
 当然の疑問を口にした貴美子に、鴨上は確認するかのように問うてきた。
「妊娠が発覚したのは、裁判が始まる前のことだったそうだね」
「ええ……。拘置所に移されてから、暫(しばら)く経った頃のことです」
「日本人には、到底理解できないのだが……」
 鴨上は、苦笑を浮かべながら前置きすると、その理由を話し始める。「たぶん信仰からくるものなんだろうけど、その兵士の母親、つまり将官の夫人が、君のお腹の中に子供がいることを知って、寛大な措置を取るよう強く主張したらしいんだ」
「殺された兵士のお母さまが?」

プロフィール

楡 周平(にれ・しゅうへい) 1957年岩手県生まれ。米国系企業在職中の96年に書いた『Cの福音』がベストセラーになり、翌年より作家業に専念する。ハードボイルド、ミステリーから時事問題を反映させた経済小説まで幅広く手がける。著書に「朝倉恭介」シリーズ、「有川崇」シリーズ、『砂の王宮』『TEN』『終の盟約』『黄金の刻 小説 服部金太郎』など。

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