よみもの・連載

軍都と色街

第六章 大阪 和歌山

八木澤高明Takaaki Yagisawa

「飛田(とびた)も最近は外国人のお客さんが多いですよ。韓国人に中国人、インド人も乗せました」
 飛田とは、わざわざ言わなくてもいいかもしれないが、大阪を代表する色街飛田新地のことである。新型コロナウイルスの蔓延で、今となっては夢物語のようになってしまったが、ウイルスが流行する以前、飛田にも大阪を代表する観光地の道頓堀などと同じように世界中から観光客が押し寄せていた。
 冒頭の発言は、飛田へ向かう際に乗ったタクシー運転手さんの発言である。さらに働く女の子もひっきりなしに応募してくるようになって、店はオーディションをしていると、冗談とも本当とも判じかねるような話まで運転手さんは、してくれたのだった。
 大阪の色街といえば、飛田新地を思い浮かべる人は多いことだろう。かく言う私も、今では大阪の色街といえばいくつもの街が頭に浮かぶが、二十年ほど前に色街の取材を始めた頃に知っていたのは飛田新地だけだった。
 今回の軍都と色街を巡る旅では、大阪と和歌山を歩こうと思っているが、今では大阪を代表する飛田も、大阪の色街史においては実は新しい色街になる。大正時代に建てられた木造建築が残り、確かに歴史の重みを感じることができる。しかし、色街を歩き続けていると、目に見える色街だけがすべてではないことに気づかされる。有史以来数多の色街が日本で生まれては消えているからだ。今残っている建物にしろ、娼婦たちにしろ、歴史のなかのほんのひと握りにすぎないのだ。
 今ある風景を見ることは、もちろん最重要であるが、その向こうにかつて存在し、現在は幻となってしまった景色にも、しっかりと目を向けなければならない。今回、誰もが知る大阪の色街であり、生きている色街でもある飛田新地から、遥かなる過去へと遡っていきたいと思う。
 
 偉そうな口上を述べたが、私も初めて飛田新地を訪ねた十二年前、その雰囲気に圧倒され、地に足がつかずふわふわとした気分で街を歩いた。
 若い女性たちが並び、ひっきりなしに客が行き交う青春通りという目抜き通りから、だいぶ外れた薄暗い通りにある店に入った。そこで話を聞いた娼婦は、青春通りの娼婦と比べると、年はひと回り上で、体つきもぽっちゃりとしていた。あとからその通りが妖怪通りと呼ばれていることを知った。ただ、妖怪通りの娼婦は、あまりぎすぎすしておらず、私が映画のセットのような古い遊廓建築にカメラを向けたいと言うと、何の躊躇(ためら)いもなく「どうぞ」と言ってくれたことを昨日のことのように思い出す。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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