よみもの・連載

軍都と色街

第六章 大阪 和歌山

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 今回、集英社の田島さんと久しぶりに飛田を歩いてみると、映画のセットさながらの街の雰囲気は相変わらず素晴らしい。青春通りは以前に比べて、明るく華やいだようにも見えて、間違いなく通りを歩く男の数も多い。かつて登楼した妖怪通りにも足を運んでみたが、そこはあまり雰囲気は変わっておらず、男の数も以前と同じようにまばらで、上がり框(がまち)に座る女性の姿を見る限り、やはり年齢層も容姿も当時と変わらず、何だかほっとしたのだった。
 私は、ひととおり町の様子を眺めてから、冷たいジュースで喉を潤そうと、ベンチに腰掛けた。すると、以前は見かけなかった、こんな垂れ幕が目に入ってきた。


”南地で三百年此の地で百年謹んで御礼申し上げます”


 南地というのは、飛田遊廓が大正時代に現在の地にできるまで、大阪の色街のルーツとなった土地のことである。大阪の一大繁華街ミナミの一角、ちょうど道頓堀のあたりだ。
 江戸時代、大坂において幕府から認められていた遊廓は、新町遊廓のみで、その他の色街は私娼窟で南地も幾度となく取り締まりに遭っている。
 南地が遊廓として公許を得るのは明治時代になってからのこと。難波新地と呼ばれ大いに栄えたが、一九一二(明治四十五)年の大火によって全焼し、代替地として、一九一六(大正五)年に阿倍野墓地に隣接し、付近にはかつて刑場もあった、この地に移ってきたのである。
 飛田を歩けば、今も大正時代の遊廓建築がしっかりと残っている。ビルが林立する大阪の街の中で、飛田は時空を超えて浮かぶ島のようですらある。それゆえに、日本人ばかりではなく海外の観光客も魅了し続けている。しかし、飛田を遥かに超える色街の歴史が大阪には宿っている。幻視行ともいうべき、そのルーツへの旅をはじめてみたい。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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