よみもの・連載

軍都と色街

第九章 呉 岩国

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 中国山地の峰々に抱かれた広島空港に着いたのは夕暮れ時だった。そこからバスに揺られて、一時間ほど、呉市内に入った時にはすでに陽はとっぷりと暮れていた。
 町のネオンの向こうにある小高い山の黒い影が、巨大な壁のようにも見えた。その景色を眺めていると、海に山が迫った地形がこの連載でも取り上げた横須賀を思い起こさせた。
 三方を山に囲まれ、横須賀も呉も波穏やかな入り江となっていることから、軍港として最適の場所だったのだろう。ただ、横須賀も呉も二か所とも明治時代に軍港として開かれるまで、小さな漁村だったという。
 明治という時代が、漁村を軍港に変え、それまでの風景を一変させた。その先に今日の日本の姿があるわけだが、西洋に追いつけ追い越せで近代化を進めたことは、果たして、日本にとって幸せなことだったのか、否か、答えの出ない問答を頭の中で続けているうちにバスが止まった。

 宿でひと息入れてから、街に出ることにした。訪ねたのは冬至も近い十二月の初旬ということもあり、海から吹いてくる風は冷んやりとしていた。
 呉には、一八九〇(明治二十三)年に海軍の鎮守府が置かれ、一九〇三(明治三十六)年には兵器を製造する海軍工廠(こうしょう)も設置された。呉で建造された戦艦として有名なのは戦艦大和だろう。今も大和が生まれたドックは現役で、タンカーなどを建造している。
 大日本帝国の主要な軍港として発展した呉では、鎮守府が置かれた五年後に朝日遊廓が開業している。鎮守府が開庁する三年前に呉の隣町に吉浦遊廓が開設されていたのだが、街の中心部から離れていることもあり、新たに朝日遊廓が作られたのだった。
 JR呉駅前で、タクシーを拾って朝日遊廓の跡に向かった。どの土地でもタクシーの運転手さんに色街事情を聞くことは欠かせない。
 止まったタクシーの運転手さんは七十四歳の男性だった。運転手さんがちょうど小学校から中学に上がる時の、一九五八(昭和三十三)年四月に売春防止法が完全施行されている。何か心に残っている風景はあるのだろうか。
「もうわしが遊びを覚えた頃には、ババしかおらんかったよ。遊廓は売防法の前になくなっていて、川岸のところに立っておる立ちんぼばっかじゃった」
「そうなると、呉の人はどの辺で遊んだんですか?」
「広島に行ったな。呉では遊ぶというより屋台でよく飲んだ。昔は今よりいっぱい屋台が出ていて、ラーメン屋が多かった。ヤクザの抗争もあったし、何人も人が死んだりして、昔は物騒というか賑やかだったな。広島といえば『仁義なき戦い』の舞台にもなった場所だし、ヤクザも多かったよ」

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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