よみもの・連載

軍都と色街

第九章 呉 岩国

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 私はハワイには行ったことがないので、現在の色街の様子はわからないが、そのみなもとは、おそらく山口県の周防大島にもあり、大島の穏やかな海原は遠く太平洋へと繋がっているのだ。

 周防大島、岩国、どの地域も江戸から明治へと時代が大きく転換するなかで、それまでの生業では生活していくことが困難となり、ハワイやアメリカ大陸に活路を見出した。人間の生活には常に光と陰がつきまとうように、ハワイ移住資料館のような立派な家を建て、故郷に錦を飾る人物がいる一方で、プランテーションでの日々の労働から逃れ、博徒になるものや娼婦となって夜の街を流離(さすら)うものがいた。一方で、軍都呉を歩いた際に見た御手洗はどうか。同じ島でありながら、出稼ぎ者の話は聞かなかった。それは、売春というものが、ひとつの産業として人々を島に繋ぎ止めたことを意味している。
 明治から大正、そして昭和にかけての人々の営みを売春や移民などを通じて目にしながら、やはり思うのは今私が立っている現代の日本のことだ。
 平成、令和と時代が移り、社会構造も江戸から明治の日本と同じように大きく変化をしている。終身雇用が当たり前ではなくなり、地方の主要な駅の周辺に広がっていた商店街は消えつつある。郊外の巨大なショッピングモールやネット通販が消費の場となった。世界の様々な土地への移動は容易となり、心理的に地球儀は小さくなった。
 そうした時代状況の中、新天地を求めようとする人々はどこに活路を見出せばいいのだろうか。人生を逆転できる土地はあるのだろうか。
 日々の生活に経済的な豊かさを感じることはなくとも、漫然と生かされていて、現在の社会にも芋食い島があるということに気がつかなくなっているのかもしれない。
 それは、仮想空間が現実を呑みこんでいることの証しなのかもしれない。今や私も含めてスマホを日常から手放すことができない。スマホが選んだ店に行き、選んだルートを通る。それは、スマホが自分の脳の代わりをしていることを意味している。
 ますます日本社会から人間臭い場所が消えていく。周防大島を訪ねる前に歩いた御手洗で話を聞いた脇坂さんがこんな話をしてくれた。
「今は海がきれいになりましたけど、魚は少なくなった。生活排水が流れ込まなくなって、めっきり減ってしまったんです」
 水清ければ魚棲(す)まずという言葉があるが、色街が消えつつある昨今の日本の状況そのものではないか。
 西日に照らされる瀬戸内海を眺めながら考える。トナのような悲劇に見舞われた女性も少なくなかったが、大海原の向こうに新たな人生を切り開く土地があったというのは、幸せな時代だったと思えてくるのだった。少なくとも自分の脳内で夢を見られる時代だった。
 スマホを手にしながら、眺める周防大島の海原は、どこまでも穏やかだった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

Back number