よみもの・連載

軍都と色街

第九章 呉 岩国

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 この日、岩国に泊まったこともあり、岩国基地周辺を歩いてみることにした。ここ岩国も日本の他の米軍基地と同じように、朝鮮戦争からベトナム戦争にかけて、米兵相手の色街が広がっていた。
 岩国基地はもともと日本海軍の飛行場を戦後に連合国軍が接収したことから、今日の姿となった。朝鮮戦争、ベトナム戦争によって、歓楽街として大いに賑わったのだった。
 私は、一軒のバーに入ってみた。店内のいたるところには、様々なメッセージが書かれたドル札や紙が貼られていた。中には、黄ばんだ札もあり、この店と米兵との関係の長さを物語っていた。
 店のオーナーによれば、アメリカへ帰ることになった米兵たちが記念に貼っていき、いつしか壁がドル札で埋まってしまったのだという。壁に貼られたドル札や紙を見て、ベトナム戦争当時米軍の歓楽街として発展したタイのパタヤや韓国の議政府(ウィジョンブ)のことを思いだした。
 それらの地のバーの壁にも同じようにドル札が貼られていたのだった。なんで、米兵たちは、各地のバーにドル札を貼るのだろうか。明日をも知れぬ彼らは、自分が生きた証しを残したかったのだろうか。ドル札を眺めていると、川に流されていく葉っぱのようにも見えてきて、軍隊というものに命を預けた兵士たちの悲哀が色濃く漂ってくるのだった。
 米軍基地のゲートから道沿いに飲み屋街が延びているのだが、土地の名は川下(かわしも)地区と呼ばれている。
 朝鮮戦争当時、川下地区は、全国各地の基地周辺の色街と同じく、千人とも二千人ともいわれるパンパンで溢(あふ)れていたという。彼女たちは、基地周辺の民家に部屋を借りて、米兵たちを連れ込んだ。
 歓楽街は川下地区からJR岩国駅周辺にまで広がり、異国のような空気を醸し出していたという。そんな景色は、今では残っていない。昭和十七年の生まれだというバーの大ママの心に残っている景色を教えてもらうことにした。
「しょっ中、米兵が喧嘩していたね。感心したのは、あの人たちは、必ず素手だったことね。武器は使わなかった。特に喧嘩が多かったのは、ベトナム戦争の頃だね。当時は、一ドル三百六十円でしょう。ビール一本百円の時代に二十ドル札をカウンターに置くのよ。『明日ベトナムに行くからお釣りはいらないよ』って。お金なんて持ってても仕方ないでしょう。店にはベトナム帰りの人ばっかだったね。絶対に後ろから彼らの肩を叩いたらダメなのよ。戦場の緊張感が抜けていないから、敵だと思って殴り倒される。他の町だったら傷害事件だけど、ここじゃ仕方ないよね。米兵は大事なお客さんだから」

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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