よみもの・連載

軍都と色街

第九章 呉 岩国

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 若胡子屋以外の茶屋も、最初は船後家屋からはじまり、商売がうまくいくと陸に上がったのだった。おそらく、この四軒以外にも多くの船後家屋があったのだろうが、名が残っている店は成功者といえるのだろう。
 御手洗が風待ちの港として繁栄すると、遊女たちはこの港を拠点として、尾道、宮島、大三島(おおみしま)など大きな社寺がある島に出稼ぎに行くこともあったという。
 江戸時代にはじまった遊女たちの出稼ぎの伝統は、戦後にも受け継がれた。連合軍の駐留という歴史的な出来事も、御手洗の業者からすると、多くの人間が集まるという点において、一種の祭りのように感じられたのかもしれない。言ってみれば、大きな商機に他ならなかったのではないか。

 街中には、今も若胡子屋の建物が残っている。外見は当時のままだが、主屋の内部は寺院に転用されていた時代があったことから、天井が取り払われていて、遊廓というよりは、道場のような雰囲気だった。一方で、一部残っている二階には遊廓時代に遊女たちが身繕いをする部屋が当時のままに残されていた。
 畳敷きの部屋の壁は漆喰(しっくい)で、遊女が書いた落書きもあり、この部屋だけが遊廓のまま取り残されているようにも思えた。
 この部屋には、陰惨な伝説も語り継がれている。当時の遊女は、客を迎える際に、結婚していることの証しであるお歯黒を塗った。遊女であっても、客の男の一夜の妻になるという意味が込められていて、遊女の粋な計らいでもあった。
 ある日、この部屋で遊女のお歯黒を禿(かむろ)と呼ばれた遊女見習いの少女が塗っていた。すでに客が待っていたにもかかわらず、禿はうまく塗ることができず、苛立(いらだ)った遊女が、煮え立ったお歯黒を禿に飲ませてしまい、禿が苦しみながら死んだという事件も起きたという。
 その時、血を吐きもがき苦しんだ禿が血染めの手で壁を触ったことから、血痕も壁に残されているというが、その痕跡がどこにあるのかまではわからなかった。
 ただ、歴史の重みだけは、部屋の壁からも感じられるのだった。

 歴史的なことでいえば、御手洗は明治維新とも大きな繫がりがある。西日本の諸藩は、御手洗に船宿を置き、広島藩と貿易を行っていたのだった。
 深い繫がりがあったのが薩摩藩で、生糸や硫黄などを広島藩に売り、長崎においての武器や艦船の購入費に充てたのだった。
 当時、広島藩は長州藩や土佐藩とも盛んに貿易を行っているが、その背景には、武器を揃(そろ)えて、倒幕を行うという藩論があった。
 倒幕というと、長州藩や薩摩藩が真っ先に浮かぶが、広島藩も重要な役割を果たしている。実際に、犬猿の仲であった薩摩と長州を結びつけるきっかけとなったのは、広島藩だった。明治維新において極めて重要な役割を果たしたのが、島ということから幕府の目につきにくく、密談も容易にできた御手洗の存在だった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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