よみもの・連載

軍都と色街

第九章 呉 岩国

八木澤高明Takaaki Yagisawa

風待ちの港、御手洗へ
 呉から、レンタカーで御手洗へと向かった。広島県の瀬戸内海に大崎下島という島があるのだが、そこにある小さな町が御手洗である。
 瀬戸内海を行き交う船の風待ちの港として栄えた大崎下島には、船乗り相手の遊女たちがいたのだ。その起源は、はっきりとはしないが、少なくとも安土桃山時代にまで遡ることができるという。島が、最も栄えたのは、江戸時代中期以降のことだった。大坂と北日本を結ぶ西回り航路が、航海技術の発達とともに、次第に陸地に沿って航海するものではなく、沖合を通るようになると、瀬戸内海の沿岸から離れて、本州側と四国側のちょうど中央に位置する大崎下島は風待ちの港として最適な場所になったのだった。
 現在の大崎下島は、本州と橋で繋がっているので、車で向かうことができる。呉市内から穏やかな瀬戸内の海を眺めながら、走っていくと、橋で繋がった途中の島々にはミカン畑が目についた。無人販売所でビニール袋に五つほど入ったミカンを買い求めてみたが、まだ時期が早かったようで、少々酸っぱかった。
 呉から一時間ほどで、大崎下島の御手洗に着いた。
 早速、町を歩いてみることにした。今から三十年ほど前に重要伝統的建造物群保存地区として国から選定されたこともあり、趣のある木造建築が多く残っている。
 通りを歩きながら、誰か話を聞けそうな人はいないかと探していると、年の頃七十代と思しき女性が歩いてきた。
 江戸時代に栄えた御手洗であったが、いつまで色街として続いていたのか土地の人の言葉で聞いてみたいと思った。無神経な私でも、初対面でしかも女性に色街の話を振るのは、毎回少々気がひける。しかし、彼女以外に人が見当たらなかったこともあり、思い切って声をかけた。すると、女性は気さくに色々と話してくれた。
「ここは、すごく賑やかなとこだったみたいよ。私が引っ越してきたのは、売防法のあとだったんで、そうした店はなくなっていましたけど、食堂やいろんな物を売るお店もいっぱいあった。うちの家も買った時は、壁に女の人が書いた落書きがあったりしたんよ。一階が喫茶店みたいになっていて、階段が二つあんの。こまい部屋がいっぱいあって、そういう商売をしていたと聞いています」
「どこにお住まいなんですか?」
「ここよ」
 と、彼女が指差したのは、目の前の家で、保存地区の中だった。てっきり港沿いだけに色街があったのかと思ったら、どうやら違った。
「全部ではないけれど、たくさんの家がそういう商売をしていたみたいよ。港近くの住吉町だけじゃなくて、新地ヶ鼻と地元で呼ばれている場所があって、今はほとんど人が住んでないですけど、そうした商売をしていた長屋だけは残っていますよ」

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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