よみもの・連載

軍都と色街

第九章 呉 岩国

八木澤高明Takaaki Yagisawa

「建物も古い家屋がきちんと残っているんですね?」
「昔は、御手洗全体が色街といってもいい状況でした。それが昭和三十三年に売春防止法が施行されることになって、商売人はみんな東京に行ってしまったんです。それから目立った産業がなくて、そのまま取り残されてしまったんです。平成三年にリンゴ台風というのがあって、青森が大きな被害を受けましたけど、ここも風速七十メートルの風と波が押し寄せてきて、港沿いの家はほとんどやられてしまいました。その時に建物は壊されそうになったんですが、広島大学の教授が貴重な文化財やから壊さんでくれと言ってくれて、保存地区に指定されて、国に修繕費を出してもらって直したこともありました」
 あの吉浦遊廓の建物が消えた原因となった台風の被害をここ御手洗も受けていて、もしかしたら貴重な建築物が消えている可能性もあった。
 男性は、御手洗のことを知ってもらいたいという思いがあるのだろう。話は止まらなかった。
 名前は脇坂さんといって、七十歳になるという。
「ここは、昭和三十年代まで売春がありましたけど、江戸時代から続くおちょろ舟もありましたよ。それに乗って女性が移動していました。ここでは、女性たちのことを芸者とか遊女という言葉ではなくて、遊び姫と呼んでいたそうです。容姿だけじゃなくて、知識も教養もあるという意味ですね。江戸時代、おちょろ舟に乗って行く人というのは、陸に上がって遊ぶことができない船乗りを相手にしました。陸で遊ぶことができるのは、船頭クラスだけですからね。女性も芸がない人や見習いのような人がおちょろ舟に乗ったそうです。それが昭和三十三年までやっていたんです」
「おちょろ舟に乗っていた女性などはもういないですよね?」
「女性はみんな出て行ってしまいました。おちょろ舟を漕ぐ男性をちょろ漕ぎというんですけど、三十人ぐらいはおったんです。その男性でおもろい人がおったけど、その人も亡くなってしまいましたね。おちょろ舟に女性を乗せて、『べっぴんはいらんか、べっぴんはいらんか』と声を掛けて回ったそうです。中にはブスな女性もいたそうで、無理やり船に置いて帰ってきたとも言ってましたね」
「御手洗の多くが、売春に関わっていたと仰いましたが、ご主人のご家族はどうだったんですか?」
「うちも婆さんが遊廓をやっておりました。芝屋さんという庄屋さんの建物が町の中にあるんですが、そこでやっていたんです。私はそこで生まれました」
「遊廓のご記憶はあるんですか?」

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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