よみもの・連載

軍都と色街

第九章 呉 岩国

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 屋台には客はおらず、おでんの鍋の向こうで大将が、「いらっしゃい」と言った。
 おでんを数品とラーメンを注文してから、売春の話題に触れる前に、まずはヤクザとの関係について聞いてみた。
「ここは、市役所が管理しているから、ヤクザは金の引っ張りようがないんですよ。この屋台は親父がはじめて、私で二代目になりますが、これまで一度もヤクザからみかじめ料を要求されたことはありません。もし来たとしたら、こっちに請求されても困るから市役所からもらってくれと言いますよ」
 私は思わず吹き出してしまった。使用料はいくら市役所に払っているのか聞いてみると、月五千円とのことだった。ヤクザとのトラブルも皆無で、この使用料ならやりたいという人も多いのではないかと思ったが、相当な重労働だという。
「屋台を毎日必ず撤去しないといけないんですよ。夕方の四時半から準備をして、朝の五時までには、きれいにしとかんといけない。普通の店みたいにシャッターを上げ下げすればいいもんじゃないんでね」
 朝撤去した屋台は三輪のスクーターで引っ張り近くの駐車場に置いているという。それを聞くと、間違いなくきつい仕事だ。
 先ほど二代目だと言っていたが、父親はなんで屋台をはじめたのか気になった。
「おやじは戦後すぐの生まれで、中学卒業してから神戸に働きに行っていたんです。お兄さんが三宮で屋台をやっとって、それではじめたみたいです。神戸からこっちに戻ってきて、屋台を出したんです」
 終戦直後、米軍基地のあった三宮は、現在のJR三ノ宮駅から神戸駅の高架下の間、約二キロにわたって千五百軒の屋台が並んでいた。高架下の屋台は、数年で撤去されたが、駅周辺の屋台はジャンジャン市場や国際マーケットに吸収された。
 ジャンジャン市場は一九六六(昭和四十一)年まで営業を続けたというから、ジャンジャン市場が閉鎖された頃に屋台の主人の父親は呉に戻ってきたのだろう。
 三宮の戦後も米軍とは切っても切れない深い縁がある。ちょっと長くなるかもしれないが、三宮についても触れておきたい。

 戦後の三宮周辺には、三ノ宮駅近くに米軍のイーストキャンプ、神戸駅近くにはウエストキャンプがあったこともあり、屋台ばかりではなく、米兵を相手にするパンパンも多かった。彼女たちが現れるきっかけとなったのは、米軍基地の存在だけではなく、敗戦直後に当時の内務省が主に全国の県警を通じて、進駐軍向けの慰安施設を作ったことにあった。もちろん三宮も例外ではなく、『パンパンとは誰なのか』(茶園敏美 インパクト出版会)によれば、闇市があった三ノ宮駅から神戸駅にかけて六ヶ所の慰安施設が作られて、七百五十七人の慰安婦が集められたという。政府公認の売春施設だけではなく、神戸駅とイーストキャンプの間には、地獄谷と呼ばれ、バーやクラブが密集し街娼が集まっていた地区もあった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

Back number