よみもの・連載

軍都と色街

第九章 呉 岩国

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 終戦近くのルソン島北部の戦いは、この世の地獄ともいえる有様で、食べられるものは、ネズミからミミズ、さらにはゴキブリまで何でも口に入れたという。そして、仲間の兵士の肉を食べるという禁断の行為もあった。
 実際に私は、今から十年ほど前に中内が彷徨ったルソン島北部の山間部を取材したことがあった。拙著『日本殺人巡礼』の中でも触れているが、現地のフィリピン人で実際に日本兵が人肉を食べている姿を目撃したマヨールさんという八十三歳の男性にも話を聞いた。
 マヨールさんが暮らしていたのは、バギオというルソン島北部の町から五時間ほど悪路を車で走ったカバヤンという村だった。
 緒戦で敗退し、ルソン島北部の山岳地帯へと逃げ込んできた日本軍は、すでに指揮系統が崩壊していた。食糧の配給はなく、すべて自分たちでまかなわなければならなかった。そうした状況の中、マヨールさんをはじめ地元住民たちは、日本兵による人肉食いを目撃していた。日本兵たちは、地元の住民たちを襲ってその肉を食らっているとの噂も流れていた。
 混乱状況の戦争末期にマヨールさんは反日ゲリラに身を投じていた。
「向こうの河原を見てください」
 マヨールさんは、私たちがいる場所から二百メートルほど離れた眼下の河原を指差した。
「朝だったか、昼だったか、時間はまったく覚えていないんだけど、パトロール中に河原に出たら、二人の日本兵が何かにしがみついていた。警戒しながら近づくと、二人の日本兵は、死んだ日本兵のふくらはぎの辺りにかぶりついていた。私たちが近づいても、兵士たちは逃げることができなかった。どうやら衰弱して歩けなくなっていたんだろう。何とか生きるために、最後の手段として人肉に食らいついたんだと思うよ。私たちは三人でパトロールしていたんだけど、仲間の一人が、おぞましい光景に耐えられなかったんだろう、その場で日本兵を射殺したんだ。仲間の気持ちも十分理解できたが、殺された日本兵も仕方なしに食べていただけだから、本当に哀れだった」
 友軍の兵士にかぶりつきながら、息絶えた日本兵。正に生き地獄であった。今から八十年近く前に、そのような光景がルソン島のこの静かな山村で起きていた。

 フィリピン人の側ばかりではなく、ルソン島で戦った日本軍兵士にも当時の戦況を聞く中で、人肉食いについても質問したことがあった。
 その男性は戦車第二師団の下士官として、満州からルソン島に向かい、ルソン島北部で終戦を迎えた。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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