よみもの・連載

軍都と色街

第九章 呉 岩国

八木澤高明Takaaki Yagisawa

「売春防止法の時に私は八歳だったんですけど、まったく覚えてないんですよ。三つ上の姉は覚えているようで、べっぴんのお姉さんがいっぱいおったと言っていました。ただ、町が賑やかだったことだけは覚えております。私より年上のお年寄りたちは、『売防法が施行されるまで、御手洗は歩けなかった』と言ってますよ。それほど人が多かったんです。そして、港の防波堤にはよそから来た出店がずらっと並んでいたんです」
 気になっていた呉と御手洗の関係についても聞いてみた。
「呉とは関係があったんですよ。戦艦大和は呉で造られましたが、江田島にも海軍の兵学校があったでしょう。戦争の末期には特攻隊になって、死にに行く若者もいたわけですから、男として生まれたからには、女を知らないで死ぬのは可哀想だと、御手洗の女の人が呼ばれたそうなんです。呉の朝日町に遊廓があるでしょう。そこでも御手洗の業者が女の人を連れていって営業していたんです。戦争中の空襲で焼けて、女性が死んでしまったから、私の友達のお父さんが、御手洗の検番をやっていたんで、代表して骨を取りに行ったんです。それで、呉に向かったんですけど、国鉄の呉線が空襲で駄目になっていて、山陽本線で広島を経由して向かっている時に原爆でやられてしまったんです。その後、終戦になったら米軍が上陸してくるからと、業者が呼ばれたそうです」
 神崎清著『売春』に書かれていたことは事実だと信じていいだろう。遊廓経営者の孫にあたる脇坂さんの貴重な証言が裏付けてくれた。脇坂さんの祖母も呉に出て米兵相手に商売をしたという。
「私が中学ぐらいの時に、祖母が話してくれたんです。『米兵はすごい来たな。金を持っとるから、飲む、打つ、買うじゃろ、次から次へとやって来て、二百人を相手にしたんじゃ』という話をしてくれました」
「それはひとつの店ですよね?」と私は思わず尋ねてしまった。すると脇坂さんは即座に否定した。
「いやいや、ひとりの女性が一日に二百人を相手にしたそうです。どんどんやって来て、戦地から来た男たちはやりたくてしょうがないんですよ。『女は化け物だぞ』と、言っていたんです」
 私は、横浜の色街黄金町で、半日で二十人を相手した娼婦に話を聞いたことがあったが、二百人とは驚きだ。
「お婆さんはどちらの出身だったんですか?」

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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