よみもの・連載

軍都と色街

第九章 呉 岩国

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 後に日本人移民もその数が増えると、黄禍論が起き中国人移民と同じように移民法の適用によりハワイへの移民は禁止されることになる。

 多くの移民を送り込んだ周防大島だったが、当然ながら全ての人が成功者だったわけではなく、酒や賭博に溺れる者も少なくなかった。
 一方女性の中には、「写真結婚」と呼ばれる婚姻方法で結婚して海を渡り、夫から騙(だま)されて色街に売られる人もいたという。
 ホノルルの中華街があるリバーストリート周辺に色街があって、日本人の娼婦がいたのだった。
 これまで、岩国のトナをはじめからゆきさんのことに触れてきたが、ハワイやアメリカ大陸に渡った日本人娼婦も少なくなかった。彼女たちはあめゆきさんと呼ばれ、ハワイだけでなく、カナダやロサンゼルスなど、日本人移民がいた街には彼女たちの姿があった。
 あめゆきさんに関することで、ひとつ書いておきたいことがある。日本人女性を多くアメリカ大陸に売り飛ばした、女衒(ぜげん)の元締めを多く生んだ集落のことだ。
 駿河湾を望む西伊豆の港町戸田(へだ)から海沿いの道を沼津方面へ車を走らせると、見えてくる集落がその場所である。
 そこは三方を切り立った山に囲まれ、西側だけが海に面していて、外界と隔絶されたような雰囲気がある。この土地の歴史は古く、古墳時代に造られた古墳群があり、平安時代に創建された神社もある。古代から中央とは海を通じて、繋がりを持っていた。
 この集落のことを知ったのは、『カナダ遊戯楼に降る雪は』(工藤美代子著 集英社)という作品による。
 一時期、この集落はアメリカ村などと呼ばれ、観光客が訪れることもあったというが、今ではその記憶は薄れつつある。
「私の祖父の世代は、会話の中に英語が交じっていました。もうその世代の人たちはいないですけどね」
 集落で出会った男性に海外への出稼ぎの記憶を尋ねるとそんな答えが返ってきた。この集落の人々も明治時代に周防大島と同じように、新天地を求めて海外に移住した。同胞の女性を売ることで、財を成した人物が少なからずいたのだった。

 話をハワイに戻すと、ハワイの色街は、その後も続いた。後には米兵と結婚したパンパンが、アメリカに渡ったものの、生活に馴染めず離婚した後、気候も温暖で日本人が多いハワイに移り住み、そこで体を売る者も少なからずいたという。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

Back number