よみもの・連載

軍都と色街

第九章 呉 岩国

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 戦争末期のフィリピンでは、人肉食いにかなり多くの日本兵が関わったのではないかという印象を持っている。ただ、それに関して非人間的だとか言って非難するつもりは、さらさら無い。それほど遠くない昔に私たちの祖父たちは、戦友を殺し、その肉を食(は)み、生き延びるという極限状況から生還した。もし同じ状況に置かれれば、私も口に含んだと思うからだ。

 中内のいたルソン島北部は日本軍が米軍に追い詰められ、野垂れ死んでいった飢餓の地だった。壮絶な経験をしたそのルソン島から生還したことが、日本人の胃袋を支えたスーパーマーケットができる出発点となった。
 そして、三宮周辺に千五百軒が建ち並んだという屋台も戦後の引揚者や元軍人などが、その日その日を生き抜くためにはじめた商売であり、戦争という惨禍が生み出したものだった。考えてみると、この呉の屋台も戦争と色濃く繋がっている。
 屋台で出てきたラーメンは、あっさりとした醤油味のものだった。一杯のラーメンの器の中には、人々が積み重ねてきた歴史が詰まっている。
 ラーメンを食べ終えると、屋台の大将に呉の色街事情について尋ねてみた。
「朝日町に遊廓があって、それがなくなってから、呉の人はどこで遊んでいたんですかね?」
「詳しい場所は知らんのだけど、トルコが昔はあったと聞いてますね。今は遊べる店は聞かないですね。呉には自衛隊があっても風俗にはうるさい町だから、表にはあんま出ないのよ、裏ではやってるんやろうけどね」
「大将は遊んだりとかは?」
「ここでは遊ばんかったね。こっちは商売してるけん。こっちが知らなくても、相手の女性が僕のことを知っている可能性があるからね。どこで見られとるかわからんでしょう。下手なことはできんのよ。正規のお金を払って遊ぶわけだから、わりぃことをしているわけじゃないけどね」
「立ちんぼはいなかったんですか?」
「おりましたね。最近は見ないけど、川向こうが飲み屋街なので、十年ぐらい前には、裏の川のまわりにぽつぽつと女の人が立っていましたよ。年いったおばはんが多かったね。若い子は広島に行って稼ぐから、ここにはいなかった。おばはんたちは、みんなとっくにやめてしまったのではなかろうか」
 私がかつて取材した横浜の黄金町では、ちょんの間街が二〇〇五(平成十七)年に摘発されて、外国人の娼婦たちが消えてからも、川べりには年老いた娼婦たちが立っていた。色街は消えても、行き場のない娼婦たちは立ち続けていた。
 時の流れの中で、さらに年を重ねていけば、立ちんぼたちも消えていく。この日本では色街だけではなく、立ちんぼたちも幻の風景となっていくのかもしれない。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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