よみもの・連載

軍都と色街

第九章 呉 岩国

八木澤高明Takaaki Yagisawa

吉浦遊廓跡を歩く
 呉の駅前からレンタカーで十分ほど走っただろうか。穏やかな水面に覆われた湾があって、海に向かって右に目をやると、自衛隊の艦船が停泊している。
 私は呉の朝日町よりひと足先に生まれ、一九五八(昭和三十三)年まで存在した吉浦遊廓の跡地にいた。
 遊廓はJR吉浦駅の南側の通りに建ち並んでいた。今では住宅街になっていて、遊廓時代の建物は目にすることができなかった。
 一軒ぐらいは建物が残っていてもいいのだが、ほとんど面影はない。強いて言えば、民家の庭に遊廓の庭に置かれていたであろう大きな庭石が無造作に置かれていることぐらいだった。
 朝日遊廓より先に、吉浦遊廓ができたことは、先にも書いたが、一九三〇(昭和五)年に刊行された『全国遊廓案内』によれば、十三軒の貸座敷があって、娼妓は百十人。彼女たちの出身地は九割が九州だったという。
 
 往時を知る人はいないかと、住宅街を歩いていると、遊廓跡の一角で一軒のベーカリーが営業していた。
 中に入ると、女性が一人で店番をしていた。パンを二つ買い求めてから、あまりいい顔をされないかなと思ったが、遊廓について何か知っていることがあるか話を振ってみた。
 私の思いは杞憂(きゆう)に終わり、彼女は、特に嫌がる様子を見せることもなく、気さくに話してくれたのだった。
「昔は、すごい賑わいだったと聞いていますよ。私は愛媛の松山からこちらに嫁に来たんです。その時はもう営業はしていませんでしたけど、建物はずらりと残っていましたね」
「今では見当たらないですけど、何でなくなったんですか? 老朽化が理由ですかね?」
「違うんですよ、平成三年に青森県でリンゴが大被害を受けた、リンゴ台風というのがあったでしょう。その時にこっちも相当な被害だったんです。高潮をかぶって建物がダメになってしまったんです。時代を重ねてきた建物だから、直すのにも莫大なお金がかかるし、全部壊してしまったんです。壊される前に中を見せてもらったことがありましたが、立派なお庭があって豪勢な建物でした。天災で壊すことになったのは残念でした」

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

Back number