よみもの・連載

軍都と色街

第九章 呉 岩国

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 訪ねる前に、阿品という地名が珍しいと思い、その語源を調べてみた。すると、奈良時代に行基(ぎょうき)がこの地を訪ねた時に、弥山(みせん)という山に梵字(ぼんじ)の阿の字が現れたことから、阿字名(阿品)となったという説があるということを知った。梵字とは、古代に伝わったインドのサンスクリット語のことだ。相川トナが生まれる遥か以前から、阿品はインドと因縁があった。何とも不思議な気分にさせられたのだった。
 集落に入ってすぐの場所に一軒の雑貨屋があった。まずは、そこで何か手がかりが掴めないか話を聞いてみることにした。
 引き戸をあけて店内に入ると、人の姿はなかった。
「すいません」
 と、何度か声を掛けると、住居となっているほうから、「はーい」という男性の声がした。男性は年の頃、七十代といったところだろうか。
「取材で来た者なのですが、相川トナさんという女性のことについて調べています。聞いたことはないでしょうか?」
 私の問いかけに、男性はあっさりと言った。
「あぁ、トナさんなら、この先にある家に住んでおりましたよ。もう亡くなっておりますけどね。当時の家ももうないです」
 思わぬ発言に私は驚いた。冷静に考えてみれば、インドから帰国した当時、二十六歳だったトナ。仮に七十歳まで生きていたとしたら、一九五〇年代の中頃までは生きていたことになる。男性の年齢からしたら、幼少期から十代後半まで十年以上にわたってトナとこの地区で時間を共有していたことになる。
 それにしても、明治から大正、昭和と三つの時代を生きたトナには、日本社会の変化がどのように見えていたのだろうか。そして、どのようにこの土地で暮らしていたのだろうか。
「トナおばさんは、どっか外国から帰って来たと聞いていたな。結婚もしないで、ずっと親戚の家に暮らしていましたよ」
「からゆきさんで、インドとは聞いていませんか?」
「それは聞いていませんね。ただ、若い頃に相当苦労されたんだと思います。ちょっと頭が変になっていましたね」
「どんな感じだったんですか?」
「ひとりでぶつぶつ話しているんです。こちらから話しかけても満足に言葉のやりとりができないんです」
 果たして、それが認知症的なものだったのか、トナさんはすでに亡くなっていて、確認しようがない。ただ、未婚だったということに、彼女が経験したからゆきさんという仕事が大きく影響しているように思えてならない。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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