よみもの・連載

軍都と色街

第九章 呉 岩国

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 戦前の朝日遊廓を写した写真には、二階から三階建ての木造建築が建ち並んでいる。五十八軒の妓楼があり、五百八十一人の娼妓がいたという。朝日遊廓は、海軍の軍人だけではなく、工廠には多い時で二万人以上の工員がいたこともあり、大いに賑わったという。大阪以西では一番立派な遊廓だと言われてもいた。

 酒屋の女性と話をしていると、先ほどから店の奥にいた客の男性が、話に加わった。近くで喫茶店を経営しているという。
「ワシがここに来た時には、目の前のマンションあるじゃろ、あそこに木造で二階建ての遊廓だった家が残っとった。中庭もあって、そこには池もあって、この辺りでは一番立派な建物じゃった」
「歴史的に貴重な建物だったと思うんですけどね」
 ため息まじりに、思いを吐露すると、男性が言った。
「他人からしてみたら、そうかもしれんけど、家主からしてみたら、マンションにでもして売ったほうがええじゃろ。なんだかんだ言っても、後ろ指さされる商売じゃからのう」
「旅館も多くあったと聞いてますが?」
「二十年ぐらい前までは、あちこちにあった。それも無くなってしまったのう」
「立ちんぼの女性たちが、少し前までいたそうですね?」
「おった、おった。年がいった人が川沿いに立っておった。オカマとかも多かった、もう死んでしまっただろうし、誰も相手にしないからいつのまにか見なくなってしまったなぁ」
 日本海軍と色街は、敗戦とともに消滅したが、男たちを癒した女性たちは、その後も町に残り、春を売り続けていた。売春は世間からは蔑まれる仕事かもしれないが、人の営みのしぶとさを感じずにはいられなかった。

 話を聞かせてもらった酒屋のすぐそばを界川という川が流れている。川は町の中心部を流れて大和を建造したドックなどがある呉湾に注いでいる。タクシーの運転手さんや酒屋で出会った男性が言っていた立ちんぼは、この川沿いに立っていた。
 界川を下っていくと、屋台村があるというので、そこに向かって歩いてみることにした。私がかつて取材した横浜黄金町は、ちょんの間で多くの娼婦たちが体を売っていた。そのちょんの間ができる前、大岡川という川の岸には屋台が並び、娼婦と客の出会いの場となっていたと往時を知る人から聞いたことがあった。
 おそらく呉の屋台街にも同じようなことがあったのではないかと考え、話を聞いてみたいと思ったのだった。
 十五分ほど歩いて屋台村と思しき場所に着いた。平日の夜ということもあるのか、営業している屋台は三軒だけだった。
 とりあえず、赤い暖簾(のれん)がかかった屋台に入った。ビニールのカーテンをあけると、温もりのある湯気が心地よかった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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