よみもの・連載

軍都と色街

第九章 呉 岩国

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 今から五十年ほど前の呉の話を聞いているうちに、タクシーは朝日遊廓のあった朝日町に入った。一見すると、住宅街になっていて、かつて遊廓があったようには見えない。
「この辺に立ちんぼがおったんよ。遊廓跡にできた旅館に連れ込んどった。今じゃ営業しとる旅館はなくなってしまったな」
 今では、どこにも立ちんぼの姿はなかった。山が迫り町外れということと川が流れていることが、かろうじてかつて娼婦がいたことを想起させた。そして、旅館も廃業し民家になっているという。
 話を聞かせてくれた運転手さんにお礼を言って、遊廓跡を歩いた。ゆっくりと歩いてみると、かつて旅館だったのではないかと思える建物が何軒か目についた。町の人に話を聞きたいと思ったが、夜ということもあり、人の姿はなかった。当てもなく歩いていると、一軒の酒屋を見つけた。店では女性が一人で店番をしていた。年の頃は七十代といったところだろうか。
 缶コーヒーを買って、話を聞いてみることにした。
「このあたりが遊廓だったと聞いていますが?」
「そうです、そうです。うちの目の前には大門があったそうです」
「昔の建物は残ってないですよね?」
「遊廓だったところに立派な病院が建っておりますが、もともとは働いている女性たちを診る病院じゃったと聞いてます。遊廓の建物が何軒かあったと思います。建物はみんな壊して、経営していた人たちは引っ越してしまいましたね。建物でいえば、うちの建物が一番古くなったんじゃないかね。昭和の匂いが残っているとか言われて映画の撮影にも使われたことがあるんですよ」
「いつ頃からご商売をされているんですか?」
「昭和二十七、八年じゃなかろうか。うちの親がやりはじめたもんでね。その頃から酒屋をやっております。その頃には大門はもうなかったんです」
 これまで回って来た戦前に生まれた各地の遊廓は、戦後の昭和三十三年に完全施行された売春防止法まで営業を続けてきた場所が多かった。この酒屋さんが営業をはじめたのは、売春防止法が施行される五年か六年ほど前のことだ。女性が色街の生きている姿を見ていてもおかしくない。
 しかし、彼女が色街の姿を目にできなかったのは、重要な軍港だった呉が一九四五(昭和二十)年三月から七月にかけて複数回にわたって空襲を受け、市街地の建物の多くが焼失してしまったことにあった。空襲により朝日遊廓も被災し、ほとんどが焼けてしまったのだった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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