よみもの・連載

軍都と色街

第九章 呉 岩国

八木澤高明Takaaki Yagisawa

「私の部隊は、マニラ北方で戦いました。一九四五年の一月に米軍がルソン島に上陸すると、私たちの部隊はマニラを離れ、マニラ北方の山間部で持久戦の態勢をとりました。五月の中旬までは食糧があったのですが、それを過ぎて、持ってきた食糧が無くなってしまうと、補給はまったく無く、ありとあらゆるものを食べました。バナナの木や花、サル、イノシシ、カタツムリ、原住民の家へ行って、食べられるものは何でも盗んでくるんです。ジャングルの中にある原住民が作った芋畑には、見張りの兵士を立てて、他の部隊の兵士が来ないように監視させるんです。もう敵との戦い以前に、食糧確保のため味方とも食べるための戦いをしなければならなかったのです」
 もし、味方の兵士が畑に入って来たら、撃ち殺すのかと尋ねると、
「もし、言っても聞かなければ撃つでしょうね」
 やはり、気になる人肉食いの話に関しても尋ねてみた。
「私は食糧を調達する係では無かったので、もしかしたら猿の肉だと言って出されたものに人肉が混じっていたかもしれません。というのは、ジャングルに潜伏している時は、わからなかったのですが、終戦後に米軍の捕虜収容所に収容された時、人肉食いの話になり、実際に食べたという兵士の話も聞きました。その兵士によれば、部隊から離れ、一人か二人で歩いている兵士を狙うんだそうです。人の肉は猿の肉より、旨いと言ってました。人肉食いの話は、私がいたルソン島北部より、米軍上陸後、早い時期からジャングルにこもらなければならなかったマニラ東部で多かったそうです。ジャングルの中というのは、食糧が豊富にありそうな印象がありますが、実際は食べられるものなんて殆(ほとん)どないんです」

 日本軍の人肉食いに関して記述された本を見つけることができた。マニラ東部で終戦を迎えた元軍医が記した本には日本軍の人肉食いに関して、こう書かれていた。
「ジャパンゲリラ、そんな名前は日本の内地の人は知らないであろう。しかしフィリピンの私のいたルソン島中部では、この言葉はもっともおそろしい言葉として語られていた。(中略)単に強盗をしただけではない。軍規厳正を誇った日本陸軍、世界最強といわれた日本陸軍の兵隊が、自分の国の兵士を殺し、物を奪い、しかももっともいいにくいことだが、その肉を食べてしまうのである。つまり強盗殺人食をやるのである。」(『比島捕虜病院の記録』 守屋正著 金剛出版)

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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