よみもの・連載

軍都と色街

第九章 呉 岩国

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 二〇二〇年七月、羽田から岩国行きの国内線は新型コロナウイルスの流行の影響もありガラガラで、十年ほど前、戒厳令が出されていたバンコクに向かった機内を思い出した。
 岩国錦帯橋空港は軍民共用の飛行場で、着陸前には機内から基地の様子を撮影しないようにというアナウンスが流れた。こうしたアナウンスを聞くと、何で日本が貸している土地で、アメリカに気を使わなければいけないのかと、腹が立ってくる。
 ボンベイで体を売っていた娼婦の名前は相川トナという。彼女の出身地は岩国市の阿品(あじな)というところだ。その集落は、岩国の人であっても、もしかしたら知らないような山の中にある。トナのことを知ったのは、この連載の「北九州 島原」取材で、北九州を訪ねた時のことだった。取材中に様々な資料を手に取ったが、『門司風俗志』という郷土史を読んだ。
 その中にトナのことが記されていた。岩国市阿品出身の彼女は一九〇七(明治四十)年、二十三歳の時に岡山県の紡績工場で働いていた。どこで知り合ったのか、門司町の鎌田相吉とその内縁の妻に、清国の紡績工場で働けば、日本の三倍は稼ぐことができると持ちかけられ、門司へと誘われた。 
 その言葉に飛びついたトナは、十数日門司に滞在した後、同じように甘言につられた女性十二人とともに石炭輸送船の船底に押し込められたのだった。これまで何度も取り上げたからゆきさんになった。
 船が着いた先は香港で、そのまま現地の女郎屋に売り飛ばされ、香港からシンガポールさらにはボンベイで働いた。ボンベイで現地の客との間に子どもができ出産。生まれた赤子は現地人に売り飛ばされてしまったという。その後ボンベイで、トナは救助され三年ぶりに日本に帰ることができたのだった。
 記事から推察するに、トナが日本に帰国したのは一九一〇年頃のことだった。この連載で何度か触れているが、日本が日露戦争に勝利し、一等国と自負するにいたり、アジア各地のからゆきさんは、醜業婦と蔑まれた時代のことだった。おそらく故郷でも後ろ指を指されるような暮らしが待っていたのではないか。

 私は岩国に入った日、市内から車で二十分ほどの場所にある阿品を訪ねることにした。ただ、彼女が帰国したのは百年以上も昔のことであり、大きな期待は抱かずに阿品に向かった。
 この日、九州から山口県の西部にかけて線状降水帯に覆われていたため、激しい雨が降り続けていた。錦帯橋が架かる錦川(にしきがわ)は、茶褐色の流れとなっていた。川を横目に車を走らせると、道は国道を離れて山と山の間に入っていった。山裾に沿って五分ほど走っただろうか、小高い山に囲まれた隠れ里のような集落に入った。そこが阿品だった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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