よみもの・連載

軍都と色街

第九章 呉 岩国

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 荒れていたベトナム戦争の時代の話を聞いて、私は野坂昭如の『ベトナム姐ちゃん』という小説を思い出した。横須賀のドブ板通りを舞台にして、米兵相手に体を売っていた娼婦が主人公で登場するが、部屋にやってきた米兵が、娼婦に背中を叩かれ、ベトコンだと思って娼婦を殴りつけるシーンが描かれていた。野坂昭如の小説は、事実なのだと思ったのとともに、米兵たちが背負っていた苦しみや悲しみが今もこのバーには、宿っているように思えた。
 町の様子についても聞いてみた。
「昔はね。この辺りには英語の看板しかなかったね。喧嘩が多かったから、MPがトラックで回っていてね。懐かしいね。米軍のおかげで、この町は生活してきたから、誰も悪く言う人はいないよ。こっちが困っていると、助けてくれるし、日本人のほうがよっぽど不親切じゃないかね。デモとかをやるのは、みんな他所から来た人だよ」
「米兵を相手にしたパンパンも多かったんですよね?」
 私の質問に、ママの表情がにわかに険しくなった。
「その言葉は軽々しく使わないほうがいいよ。あの人たちだって決して好きでやっていたわけじゃないんだよ。家族を支えるために犠牲になったっていう面があるのよ。弟や妹を大学に入れるためだったりね。堂々と故郷に帰ることもできない。辛(つら)い思いをしている人が多かった。それに比べたら今は、この辺りに外国人の彼氏を作るために女の子が働きにくるほどだから、時代が変わったね」
 堂々と故郷に帰ることができないという言葉が引っかかった。その境遇は時代が変われど、からゆきさんの姿と変わりがない。
「彼女たちのその後というのは、どうだったんですか?」
「幸せになった人は、ほんの一部じゃないかな。結婚するつもりでアメリカに行ったら、向こうに奥さんがいたなんて話はよくあった。こっちで、ハーフの子を産んだ人も多かったね。ハーフの子は合いの子と呼ばれて、虐(いじ)められてグレる子も多かった。今じゃハーフの子は差別されることもないし、時代は変わったよね」
 貴重な話を聞かせてくれた大ママにお礼を言って、私は店を後にした。パンパンという言葉を使ってたしなめられたのは初めての経験だった。その言葉に込められた重みについて考えさせられたひと時だった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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