よみもの・連載

軍都と色街

第八章 津田沼 中国 ビルマ

八木澤高明Takaaki Yagisawa

祖父の戦った土地と色街・慰安婦
 戦争に関する書籍に目を通すようになったのは、今から四十年ほど前の小学校低学年の頃だった。ざっと思い浮かべてみると、零戦や隼など日本軍の戦闘機の活躍ぶりが記された書籍、ガダルカナル島や硫黄島など米軍と日本軍が死闘を繰り広げた太平洋戦争の記録写真や戦記などを見たり、読んだりしたのを思い出す。
 幼いながらに戦争に興味を持つようになったのは、今は亡き祖父の影響だった。
「大東亜戦は勝てた戦争だったな。日本軍は強かった。いい武器さえあればな。惜しいことをした」
 ダイトアセン。祖父は私が知っていた太平洋戦争という言葉ではなく、聞いたことのない呼称で、その戦争について常に語った。
 私が知る太平洋戦争という言い方は、戦時中には使われることはなかった。そもそも大東亜戦争という名称は、一九三七(昭和十二)年に起きた盧溝橋(ろこうきょう)事件から、真珠湾攻撃に端を発するアメリカ、イギリスをはじめとする連合国軍との戦いを指して、一九四一(昭和十六)年十二月十二日に東条内閣が一連の戦いをアジア解放のための戦いとして定義して、定めた呼称だった。
 大東亜戦争という言葉は、戦後になって日本を統治したGHQによって、使うことが禁止されたという経緯があり、私が手にした戦争に関する書籍には、太平洋戦争という呼称が使われていたのだった。大東亜戦争という言葉はどこにも見当たらなかった。濁音を含んだ大東亜戦という響きは、何となくソフトに聞こえる太平洋戦争という言葉とは違って、強く心に残った。

 祖父は、いつも笑顔で決して怒ったところを見せない紳士だった。そんな祖父に何がきっかけで戦争の話を聞くようになったのか、もう四十年以上前のことなので、はっきりとは思い出せない。テレビで何か戦争映画が放映されていて、それをたまたま見ていた私に自らの体験を話しかけたのがはじまりだったのかもしれない。
 細かい内容は忘れてしまったが、中国、ビルマ(現・ミャンマー)、タイ、ベトナム、カンボジアといった異国に赴き、戦ったという話は、幼心に祖父は凄い人なんだなという思いを植え付けた。戦争の背景にある悲劇や残酷な側面は、当然ながら語られることはなかった。祖父の戦争話を、アニメのヒーローが活躍する姿と重ね合わせていたのかもしれない。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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