よみもの・連載

軍都と色街

第八章 津田沼 中国 ビルマ

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 祖父が亡くなったのは、今から二十一年前のことだった。今も祖父が得意気に笑顔で戦争の話をする姿が心に残っている一方で、彼が抱えていた戦争による心の傷を目にしたこともあった。夜中に尋常ではないうなされ方をしていたのだった。最初にその姿を目にしたのは、中学生の時だった。祖母が亡くなり気落ちしていた祖父と一緒に温泉旅行に出かけたのだが、初日の夜中に思いもしない姿を見た。宿泊していた旅館でのこと、夜中にいきなり、「おーっ」という叫び声を上げ、仰向けに寝ながら凄い勢いで足を回し続けたのだった。
「お爺さん、お爺さん」
 と、おそるおそる背中をさすりながら何度か呼びかけると、祖父は目を覚ました。額にはびっしょりと汗をかいていた。今までそんな祖父の姿を見たことがなかったので、私は何が起きたのかまったく理解できなかった。
「どうしたの?」
 という私の問いかけに祖父は言ったのだった。
「銀輪(ぎんりん)部隊で自転車を漕いだのを思い出したんだよ」
 銀輪部隊といえばマレー半島における作戦で活躍したことが知られているが、その時はそんなことを尋ねる余裕もなかった。呻(うめ)き声と何かに取り憑かれたように足を回す姿に衝撃を受けたのだった。
 その後も、自宅で寝ている時に、軍隊時代のことが脳裏をよぎったのだろうか、「気をつけ、前に進め」などと家中に響く声で、叫ぶことが何度もあった。
 そうした叫び声というのは、今となっては確認しようもないが、戦争によるストレスが原因だったのではないか。亡くなる数年前のこと、祖父は母親にこんなことも呟いていたという。
「戦争から生きて帰ってくるには、要領がよくなきゃダメなんだよ。うまくやれない奴は生きて帰ってこられないんだ」
 その要領という言葉には、様々な意味が含まれているはずだが、戦場での体験において、思い出したくもないことも多かったことだろう。戦場で蓄積された多くの心の傷は、何十年経っても消えるものではなく、夜中に突然フラッシュバックして、呻き声を上げたのではないか。
 笑顔で孫の私に戦争の話をしてくれている時も、心の中には私に悟られたくない痛みが疼(うず)いていたのかもしれない。祖父の笑顔の奥には、深い闇があったはずだ。その闇について、少しでも知っておきたいという気持ちが芽生えた。その闇を知ることによって、祖父という人間を通じて戦争の本質に多少は近づけるのではないかと思った。

 私は祖父の正確な軍歴を手に入れようと思った。実家には、祖父が所属していた鉄道第二連隊のアルバムがあったことから、第二連隊にいたことは間違いなかった。鉄道第二連隊の駐屯地があったのが、千葉県の津田沼で、現在その場所は、千葉工業大学となっている。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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