よみもの・連載

軍都と色街

第八章 津田沼 中国 ビルマ

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 私は、祖父が作戦に従事した、カンボジアとタイの国境地帯を訪ねたことがあった。今から十一年前のことで、その当時は、祖父がその場所にいたことなど思いもしなかった。祖父は、私が訪ねる七十年ほど前に同じ土地を歩いていたのだった。
 何とも言えない気持ちで、不思議な因縁に思いを馳せていると、とあるカンボジア人の言葉を思い出した。
 その人物は、かつてカンボジアを統治し、二百万人ともいわれる人々を死に追い込んだポル・ポトの弟だった。私は二〇〇一(平成十三)年から毛沢東を信奉するアジアの武装ゲリラたちを巡る旅をはじめていたこともあり、ネパールを手始めに、フィリピンやカンボジアを取材で歩いた。内戦を経て一九七五(昭和五十)年にプノンペンを占領したポル・ポト派は、毛沢東主義の影響を受け、貨幣を廃止し、都市住民を農村に強制移住させるなどの政策を推し進めた。その政策により、都市に暮らしていた人々や知識層などを中心に多くの人々が命を落としたのだった。
 二〇〇九(平成二十一)年当時、カンボジアを未曾有の混乱に陥れたポル・ポトの弟が、アンコールワットで有名なシェムリアップ州の隣にあるコンポントム州に暮らしていた。私は彼にインタビューする機会を得て、コンポントムに向かったのだった。
 ちなみに、プノンペンから車をチャーターし、現地に向かったのだが、運転手の男性にポル・ポト時代のことを尋ねると、両親と八人兄弟で生き残ったのは、彼だけだという答えが返ってきた。
 タバコ工場で機械のエンジニアをしていた彼の父親は強制された集団生活のなかで死亡し、農村での生活の経験のなかった母親と妹はヒルを怖がったために処刑され、他の兄弟たちも食糧難から次々と死んでいったと言う。
 彼の当時の仕事は、水田の肥料作りだった。当時のことをどう思うか尋ねると彼は言った。
「何も言えませんし、何もできません。どうしようもないです。私にできることは、生きることです。まだまだ生きたいと思います。元気そうな人間でも、明日も生きているかどうかはわかりません」
 私とほぼ年齢の変わらない運転手からは、死線をさまよったが故に人生を達観したような答えが返ってきたのだった。
 ポル・ポトの弟は、私が訪ねると高床式の家の前に広がる庭の木に吊り下げられたハンモックに腰をかけていた。手を合わせてカンボジア式の挨拶をした。彼もゆっくりとした仕草で、手を合わせた。兄弟だけあって風貌はポル・ポトと似ていた。特に目元がそっくりだった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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