よみもの・連載

軍都と色街

第八章 津田沼 中国 ビルマ

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 祖父は出征する前、新潟県長岡の出身で、明治時代の出版王とも呼ばれた大橋新太郎が横浜市金沢区に所有していた養鶏場で働いていた。そこでの給料は良かったらしく、アメリカ製のバイク、インディアンを乗り回し、コダックのカメラを持ち写真を趣味にしていた。特にアメリカ製のバイクは、特権階級の乗り物とされ、家一軒分の値段がしたという。農家の次男坊だった祖父がどのような経緯でそれを手に入れたのかはわからないが、やんちゃな青春時代を送っていたことは察しがつく。
 その職場の近くにあったのが、大久保花街だった。遺品には芸者の写真ばかりではなく、料亭のなかで芸者たちと一緒に撮られたものもあった。そんな祖父であったから馴染みの芸者もいたことだろう。
 かれこれ、二十年近く色街を行脚しているが、知らず知らず戦争中に祖父が銃を持って歩いた土地も訪ねていたことに今回軍歴証明書を見て気がついた。自分の意思とは別に、あの世から祖父が導いたのではないかと思えてきたのだった。
 色街を巡りはじめたのは、横浜にあった黄金町(こがねちょう)がきっかけであったが、なぜそこに興味を持つようになったのか、はっきりとした理由があるわけではない。言ってみれば、偶然だったかもしれないし、必然だったのかもしれない。
 黄金町の取材をはじめたのは、三十歳手前のことだったが、それまで積み重ねてきた人生経験、さらには私の体に流れる血というものが、誘(いざな)ったのかもしれない。紛れもなく祖父の血も私の中に流れている。色街ばかりではなく、カメラやバイクもしかりである。私も写真週刊誌のカメラマンをしていたこともあり、中型バイクが好きで、学生時代には日本各地にツーリングに出かけた。
 祖父がカメラやバイクが好きだったことは、それらのものを手に入れる度に「俺も好きだったんだ」と、呟いたことから知った。モノクロ写真の現像、紙焼きをして、焼いた写真を風呂場で水洗いしている時には、懐かしそうな顔でその様子を眺めていた。
 黄金町にしろシンガポールにしろ、馴染みの芸者がいたりするなど、遊び人だった祖父の影響を知らないうちに受け、誘われていたに違いないと思えて仕方ないのだ。そう考えると、祖父はシンガポールの慰安所にも足を運んでいたように思えてならないのだった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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