よみもの・連載

軍都と色街

第八章 津田沼 中国 ビルマ

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 広田言証がインドや東南アジアへと旅立った翌年に祖父は生まれたことになる。身近な存在だった祖父がまだ幼い時には、アジア各地に多くのからゆきさんがいた。それこそ、私にとって曽祖母と変わらない年齢の女性たちがからゆきさんだった。そう考えると、からゆきさんたちが写った古めかしく、異世界のもののように思えたモノクロ写真が、生々しい現実として目の前に迫ってくるのだった。

 現在のシンガポールは、一定の地区においては売春を合法化しているアジアでも唯一の国である。その場所はゲイランと呼ばれ、中国人街の一角にある。娼館には一軒の家ごとに番号札が立ててあり、その番号が政府からお墨付きをもらった印である。
 合法的な売春施設がある一方で、町の食堂や裏通りには、違法に体を売る娼婦たちの姿を数多く見かけた。いくら売春を合法化したところで、日本の合法的な赤線に非合法の青線がつきものだったように違法な売春はなくならないのだった。
 通りが闇に包まれると、裏路地には、インドネシア、タイ、ベトナム、更にはサリーを着たインド人など様々な国からやって来た娼婦たちが立っていた。彼女たちの値は、三十から三十五シンガポールドルほどで、主な客はシンガポールで働くインド系の労働者やインドネシアやフィリピン人の船乗りたちだった。街娼が立つ通りには、華人が経営する連れ込み宿があった。街娼たちは客を捕まえると、そこに客を連れ込むのだった。
 街娼の中で一番目についたのは、インドネシアから来た娼婦たちだった。私はインドネシア人の街娼を旅社に連れ込み関係を持った。
「結婚して、子どもが一人いるんだけど、旦那が逃げちゃったのよ。だからこっちに働きにきてるの」
 彼女はどこかで聞いたような娼婦の身の上話をしたのだが、彼女の口調には、男という生き物に対する怒りが含まれているような気がして、その言葉は、男たちすべてに向けられているような厳しさがあった。
「シンガポールには飛行機で来るのよ、二週間ほど働いて、インドネシアに帰って、またしばらくしたら、こっちに来るのよ」
 ASEANに加盟する国の間では査証(ビザ)が不要であることを有効に活用しながら、国際的な出稼ぎをしているのだった。
 今から約八十年前に日本軍が開設した慰安所にもいたというインドネシア人の女性たち。祖父はシンガポールにいた時、慰安所へ足を運んだのだろうか。こればっかりは、今となっては確認のしようがない。こんなことを言っては、祖父があの世で苦笑いをしているかもしれないが、私はきっと行ったんじゃないのかなと思っている。
 その理由は、祖父が残した遺品のなかに、芸者の写真が複数枚あったからである。かつて横浜市の上大岡に大久保花街という花街(かがい)があった。戦前、表向きは芸者が芸を売る場所を花街と呼び、遊廓は色街と呼ばれた。ただ、両者の境界線は至極曖昧であった。というのは、花街の芸者のなかにも転びと呼ばれ、芸ではなく体を売る芸者も少なくなかったからだ。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

Back number