よみもの・連載

軍都と色街

第八章 津田沼 中国 ビルマ

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 日本人慰安婦ばかりではなく、朝鮮人慰安婦たちにとっても、慰安所での仕事は多くの現金収入を得られた。当時中国の漢口にあった軍の病院で慰安婦たちの性病検査をしていた軍医長沢健一が記した『漢口慰安所』(図書出版社)という本がある。漢口市内の中心部積慶里にあった慰安所には三百人の慰安婦がいて、その中には大阪の飛田、松島といった遊廓の経営者が連れてきた日本人慰安婦だけでなく、朝鮮人慰安婦も多く働いていた。彼女たちは朝鮮人の女衒によって連れて来られ、朝鮮半島の遊廓や農村から集められた。騙されて連れて来られた女もいたが、中にはかなりの収入を得る者もいたと長沢健一は記している。

“慶子という名の源氏名の慰安婦がいた。中年増の美人で、気立てもよく、人気があって、たちまちのうちに借金を返し、朝鮮銀行漢口支店に三万円の貯金ができた。もちろん、上海や南京あたりで蓄えたのも入っていようが、当時の三万円は、現在の貨幣価値に換算すれば四千万円を超えるであろう。慶子の望みは、貯金が五万円になれば、京城に帰って小料理屋を経営することであった。(中略)また、春子という女は、借金を皆済するとあらためて借金し、それを朝鮮の故郷に送金して、田畑を買うのを楽しみにしていた。慰安係では、ふに落ちず、借金しないで自前で働く方が有利だとすすめたが、春子は借金を背負っていなければ本気で働けないそうで、案外、そんなものかもしれないと、係では納得したとのことであった。”

 本を読み進めていくと、慰安婦たちは慰安所に併設された食堂で食事をとることができ、朝鮮人慰安婦たちの食事に関しても特別な配慮が施されていた。当初、朝鮮人の慰安婦たちにも日本人の慰安婦たちと同じようにご飯、みそ汁、煮魚などが供されていたが、彼女たちが煮魚や野菜の煮物にまったく手をつけないことから、不思議に思い食事風景を観察すると、彼女たちはキャベツの千切りに醤油をかけたものをおかずに飯を食べていたという。そこで長沢は調理人に、彼女たちの嗜好を調査し口に合うものを作るように命じたのだった。
 これらの事実を列記して、彼女たちが何の問題もなく暮らしていたと言いたいのではない。いくら前線から離れたところとはいえ、戦場という極限状態の地域に放り込まれたことは間違いないのだ。
 慰安婦たちは日本軍によって、直接的に戦場へ送り込まれたわけではないが、日本軍の許可なくして、働くことはできず、慰安所の開設もできなかった。借金を返すことができれば、国に帰ることも可能だったが、仕事場である戦場への途上、敵の攻撃などで命を落とす者も少なくなかった。私は日本軍が朝鮮人慰安婦を強制連行し、慰安所へ連れていったという主張には与(くみ)しないが、日本軍により無辜(むこ)の女性たちが傷つけられた側面があったことは間違いないと思っている。
 中国大陸や東南アジアだけではなく、日本国内では木更津、そして国内で唯一の地上戦が行われた沖縄に慰安所が開設され、やはりその場所では朝鮮半島から来た女性たちが働いていたのだった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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